296件のひとこと日記があります。
2012/10/25 23:53
カスパロフさんへの返信その3
コメントありがとうございます。
僕の書いたものは問いで、必ず言葉の定義の問題が出てくることは承知の上、少々乱暴に、必ず疑問点、反論点が出るように仕向けてある部分もあります。なかなかお互いに遠慮しあって、本音を出さないなあなあな議論になってしまうと、面白くなってきませんしね。これで結構メンタルな部分で好戦的なんです(笑)。実は結構生意気を言います。ご寛大な対応、ありがとうございます。
一般的な目標では(この言葉もゆっくりと定義を詰めて行きたいものです)、セオリーは先人の知恵であり、勉強することはとても有意義ですね。はるるんさんへの返信コメントに「セオリーは社会生活を潤滑にするために役に立ってくれますが、こと新しいこと、アイディアを作り出す時には、いくら調べたり勉強したりしても届かない領域というものが存在する」と書きました。ここはほぼカスパロフさんと同じことを言っていますね。
次の箇所ですが、もちろんどちらが偉い、ということはないです。
すべてはイーブンであり、ユングではありませんが人間は底の部分でつながりを持っている、そんな予感があります。
非常に定義を誤りやすいのを覚悟で表現すれば、すべての人間は「平等」であり「完全」です。どうしてその考えに至ったのかをご説明するため、もう少し考えさせてください。知識を補助とした直感としか今は言えません。「平等」で「完全」でありながら能力差、個体差、生まれの差など、さまざまな違いが存在する世界です。なぜなのか?それを僕は今も考えています。自分が事情により少し社会からずれた場所にいることも、大きく関わっているかもしれません。
いずれにしても「人生に意味はある。誰でも幸せに生きて行くことができる」という確信を、客観的に納得できる形で言葉にしたい。野望を言えば、それをエンターテインメントにしてしまいたいと目論んでいます。はみ出した者の逆襲です(笑)。そのためにもっともっと強くならねば。僕は青いでしょうか?僕はこれこそが本質だと思っていますが。
健常者、障碍者という考え方の枠組み(含みを持った横文字を使えばパラダイムですね)が、社会の成熟によってどのように変化していったのか。そこを抜きに考えてしまっては判断を誤りますね。慧眼恐れ入ります。今の価値観で第二次世界大戦中の日本を語るような愚挙です。
一応、教育学部を出たということになっており、時代により健常者、障碍者の捉えられ方、および教育方法がどのように変遷していったのかなど、講義を受けた記憶もありますが、あらかた忘れてしまいましたね。
養護学校へも短い期間ですが実習で訪問し、そこから考えたことも膨大にあります。繰り返しになりますがこういう知識、経験は重要です。しかし外側に答えはない。あるのはヒントのみです。内側に答はすでにあります。それを表現すること、それが純粋に楽しくもあります。自分の直感には普遍的裏付けがあると信じています。
まだまだ未熟者なので、今も「あれも読んでない、これも知らない、行ったことがない!」と叫んでしまいます。それでも最近「お前はこれから一生日本から出られない」と言われてもそれほどショックじゃないな、なんて思い始めています。海外旅行ってしたことないんですけどね(笑)。僕は沢木耕太郎の「深夜特急」の大大ファンなのですが、不思議なもので…。
また誤解されそうな表現ですが、今まで書いてきたこれらは字面ほど固くも難解でもないんですよ。みんな人生楽しくやろうぜ!という。そして面白いからずっと考えられるんです。
ひとまず、本当にひとまずですがコメントの返信とさせていただきます。
いえこちらこそ、何か感じていただけるものがほんの一行、一文でもあれば最高にラッキーです。
これからもギャンブルともども、よろしくお願いします。