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2012/12/27 17:28
「走れコウタロー」から見る日本のフォークミュージックPART3
カレッジ・フォークに音楽業界が目をつけて、日本でも色んな人がデビューしています。
ただ、プロが作った曲以外、初期は技術的にまだ未熟で、形から入った感もかなり。森山良子さん(息子さんもいい歌手ですね)などはすぐに浮かぶ典型的カレッジ・フォークの歌い手さんですね。今も素晴らしい活躍をされています。
いかにも皮肉なのは、日本のフォークソングでおそらく最初に大ヒットしたのはマイク真木の「バラが咲いた」なんですよ!一人夜中に息巻く俺という。
「バーラが咲いたバーラが咲いた、真っ赤なバーラーがー、さーびしかったーぼーくのにーわにバーラが咲いーたー♪」のアレです。で、何が皮肉って、この曲、作詞作曲が日本「歌謡曲」界の重鎮、浜口倉之助。「若い娘は、ウッフーン♪」の「黄色いサクランボ」作ったのもこの人ですよ。通称ハマクラ・ミュージック。日本のフォークブームを敏感に察知、歌謡曲のセオリーで「フォーク風歌謡」を作ったらこれが売れた売れた。要するに、日本でのフォークソングって、そういう手先が器用な人がそれらしいものを作っても大衆受けする、そういうものだったってことです。プロが作ってアマチュアが歌う。わるいことじゃないと思います。堺正章、かまやつひろしで有名な、ロックテイストの強いグループサウンズ、タイガースだって、デビュー曲は歌謡曲っぽかったくらいですんで。フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」なんかはオリジナリティを感じるけども。
まったく競馬に関係ないような気がするでしょう。俺もなんだかそんな感じがさっきからしてて。
ところが競馬ファンならば、カレッジ・フォーク最後の生き残りとも言える大学生四人バンド、ソルティ・シュガー(メンバーに「さとうとしお」って人が居たという嘘みたいなバンド名の由来がある)が1970年に発売してミリオン・セラーとなった「走れコウタロー」を知らない人はいない。同年のレコード大賞新人賞。一年で解散。言葉は要らない。聴けば分かる。犬養毅の心境で。
「走れコウタロー」で検索すれば一発です。
ここまで書いてまだピンとこない叩き良化型のあなたにヒントを差し上げます。
「みどりのマキバオー」という競馬漫画を知っていますか。ジャンプです。
あのアニメ化された際のオープニング曲はまさにこの曲のパロディです。
作詞・作曲した池田謙吉はこの曲の発表直後に急死している。きっとこの歌を書くために生まれてきた人なんだろう。自転車に乗ってると歌いたくなる曲。
では途中に出てくる語りの部分を。
(セリフ)「エーこのたび、公営ギャンブルを、どのように廃止するか、
という問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました結果、
本日の第4レース、本命はホタルノヒカリ、
穴馬はアッと驚く大三元という結論に達したのであります。
各馬ゲートインからいっせいにスタート。
第2コーナーをまわったところで、先頭は予想どおりホタルノヒカリ。
さらに各馬一団となって、タメゴロー、ヒカルゲンジ、リンシャンカイホー、
メンタンピンドライチ、コイコイ、ソルティーシュガー、オッペケペ、
コウタローとつづいております。
さて今、第3コーナーをまわって第4コーナーにかかったところで、
先頭は予想どおりホタルノヒカリ、期待のコウタローは大きく遅れて
第10位というところであります。さあ、最後の直線コースに入った。
あっコウタローが出て来た。コウタロー速い。コウタロー速い。
トップのホタルノヒカリけんめいのしっ走。
これをコウタローが必死に追っかける。
コウタローが追いつくか、ホタルノヒカリが逃げきるか、
コウタローかホタルノヒカリ、
ホタルノヒカリかマドノユキ、あけてぞけさは別れゆく。」
最初の部分は当時の東京都知事か首相のモノマネだったと記憶しています。
しかるに、ケネディ大統領の暗殺以降、キューバ危機はケネディですけども、だんだん世界情勢ものっぴきならないことになってきて、日本も冷戦構造にしっかり組み込まれていったり、そんな世情の中、60年代の末くらいから、関西を中心として第二次フォーク・ブームっていうのが始まります。真ん中にはGS(グループ・サウンズ)ブームというこれまた無尽蔵に面白いものが存在するんですが、ここはフォークを中心に。
70年安保闘争も近づいて、あの学生運動ってやつが急激に盛り上がります。
ここで、さっき述べたようなウディ・ガスリー、ピート・シーガーそしてボブ・ディラン(僕のアイコンでもあります)直系の、自分で、自分の言いたい事を、自分で作った歌で表現する歌い手が台頭してきます。舞台は完全に関西。京都、大阪。
実はこの辺りが俺大好きです。今までの話は前振りだったという衝撃。
(PART4へ続きます)