1407件のひとこと日記があります。
2010/12/22 18:28
カッティング・パイン・リング(コラボ編)
ワギリパイン
「みなさんこんばんは
ワギリパインだよぉ?
今回のゲストはひびきの牧場の団長で農園も営むヒビキノアインスさんですっ
番組へようこそっ」
ヒビキノアインス
「ん
耳が遠くて」
ワギリパイン
「じゃあ拡声器で耳元で大声で質問いきますよっ
まずは引退の素直な気持ちをお願いしますっ」
ヒビキノアインス
「今は呆気ないもんだなって感じです
年齢的に引退していく僚馬達を何頭も見送って来ましたがそのときに抱いた感情とは違う気持ちですね
見送っていたときは寂しくなるな
とかご苦労様でした
って気持ちが強かったですが引退する身になってみると確かに仲間との別れが淋しい部分もありますが、それよりはあっさりしたというか吹っ切れたと言った方がいいのかも知れませんが
妙に清々しい気持ちです」
ワギリパイン
「なるほどっ
そんなアインスさんの1番印象に残るレースはどれだったのですか?」
ヒビキノアインス
「一番思い出に残るレースは始めてOPに上がれた01SのマーヴェラスポチSですね
あの頃はミニウォニちゃんもいましたけどこのマーヴェラスポチSの勝利によって僕がひびきの牧場のセンターになりましたからね
そりゃ嬉しかったですよ
ひびきの牧場初のOP馬でもあった訳ですし
あのあとに有ったインタビューも今にして思えば懐かしいですね?
まあ、そのあとミニウォニちゃんにアッサリ抜かれてしまいましたけどね
しかもG1まで勝たれちゃったし
もう一つ挙げさせてもらえるならやはり拘った凱旋門賞でしょう
四度挑戦して戴冠する事はありませんでしたが
『凱旋門を勝つ』という目標を持って毎シーズンを過ごせた事は幸せなことでしたね」
ワギリパイン
「凱旋門かぁ
僕はMCだけでしたし
ラッキーさんと同じ飛行機じゃなくてよかったですね
農園にニセ警官と多方面で活躍されてたアインスさんの引退後の予定はどうなっているのですか?」
ヒビキノアインス
「まあ後継者もまだ育成中なんでひびきの農園管理者になりますよ
ニセ警官はモダン君が勝手に言ってることなんでホントは自警団ですから
愛娘も無事ひびきの牧場に入った事だしあの娘を次期ひびきの自警団団長にするべく特訓もせにゃなりませんね
引退した方が忙しそうだ(笑)
新鮮な野菜は提供できますからワギリンも心配しないで」
ワギリパイン
「野菜楽しみだなっ
それでは最後にファンのみんなに一言お願いしますっ」
ヒビキノアインス
「長々と牧場にいましたが遂に引退する事にしました
目標としてた凱旋門を勝つことは出来ませんでしたが地元の重賞を3つも勝つことが出来て良かったです
今まで応援してくださった方々には感謝の気持ちで一杯です
本当にありがとうございました
ただし『GOCS』だけは認めねぇからな
何がバンガローだくらぁ?
リンゴと何かを併せてんじゃねえぞくらぁ
マジメに調教して……。
いや、四国八十八ヶ所巡拝してきやがれ
ハッ
取り乱しました
なんにせよ応援ありがとうございました
愛娘のマークIIもよろしくお願いします
まだまだ未熟な娘ですが皆様のご指導で立派な「れでぃ」に育ててやって下さいませ
あと新鮮な野菜が欲しい方はこちらまで?
配達もやってますよ?」
-
レジェンド様さん
>>ChaChaさん
ワギリパイン
「僕も長く活躍したいと思っていますっ
MCとして
うちの馬達はみんな引退しても活躍してるし地味な僕だけ消えないといいなぁ」 -
レジェンド様さん
>>李楽須さん
ちなみに
ストーリー上うちのパイン達は日記の通り海外に行ってますっ
海外でわ強いですが国内は弱いです
まぁ、世界を目標にしてるらしいですけどね -
藤原李楽長さん
>>ChaChaさん
コメありがとうございますm(__)m
団長(アインスの事)は七歳で、まだ余生コメでした(^_^;)しかも七月頃に出たてのホヤホヤで
ピークになったのが六歳になってからですから(~_~;)もしかすると八歳まで走れたはずでした
八歳まで走れるかどうか解りませんが、ひびきの牧場の若手、ヒビキノフォークは団長似の晩成馬の臭いが(~_~;) -
ChaChaさん
こんばんは、番組見させていただきました
ヒビキノアインス号は凄く長い現役生活でしたね自分が始めて育てたハッピーフェアリー号は6歳(4歳半で引退)になりますが、アインス号はさらに上の7歳…。
凄いですね
うちの晩成馬もアインス号みたいに長く活躍できるように頑張りたいと思います -
藤原李楽長さん
注釈
※マーヴェラスポチSのインタビュー
→当事務所ホームページに資料があります。ご覧になりたい方は、りらプロホームページ(日記)をチェックしてください。
※凱旋門賞
→白山大賞典(G3)の事。ヒビキノアインスの心の凱旋門賞であることから、そう呼んでいました。