139件のひとこと日記があります。
2010/06/20 06:29
思い出の宝塚記念
あなたの、そして私の夢が走る宝塚記念。杉本清アナの名フレーズです。
今となっては懐かしい響きですネ。
その杉本清アナの夢が確かマチカネタンホイザだったかな?95年の宝塚記念。
まずはその前の天皇賞から。
前年優勝のビワハヤヒデ、ライバルのウイニングチケットらが引退し、注目はビワハヤヒデの弟、前年度4冠馬のナリタブライアンだった。
阪神大賞典を圧勝して、その座は不動と思われていましたが…股関節炎で回避。
押し出された一番人気はエアダブリンでした。
しかし、
勝ったのは“主役キラー”ライスシャワー。
前年は回避していたものの、一昨年の覇者。
“ゆっくり下らなければいけない”3コーナー下り坂付近からの掟やぶりのロングスパートで、ステージチャンプ以下の急追をしのぎ切った。
菊花賞でミホノブルボンを、一昨年の天皇賞でメジロマックイーンを破った淀3000overのスペシャリスト、ライスシャワー自身、最高の存在感を示したレースでした。
“いやぁ?やっぱりこの馬は強いのか”、その時の杉本節です。
今思えばこの勝利が悲劇の始まりでした。
迎えた宝塚記念。タイミング悪くこの年は京都競馬場開催、
“主役キラー”は“京都の鬼”となり、この日を主役で迎える。
そして運命の3コーナー下り坂…
伝説のロングスパートが生まれた場所で彼は前のめりに倒れた。投げ出される的場騎手、凍り付く一瞬でした。
私はこの時、東京競馬場にいました。
東京競馬場のお客さんのほとんどが、メイン(NZT4歳Sだったか?)の結果より、ライスシャワーの安否を気にして騒ついた雰囲気でした。
なにせ“京都の鬼”は関東馬で、関東馬が弱かった時代のエース。
みんな、心のどこかで“安楽死”を認めたくない、いや、無事なはずだ…という気持ちだったはず。
彼は主役になってはいけなかったのか?
京都競馬場には彼の功績を讃え、ライスシャワーの碑があります。奥まった静かな一角にも関わらず、綺麗にされ、いつも花が手向けられています。
主役になってはいけなかったのではなく、我々が勝手に主役として扱えなかっただけ、
遅いのですが、死んでから気付きました。
今年も会いに行きます。
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絶・天狼抜刀牙さん
>>えあぐるさん
競馬って、繁殖までが名馬の仕事ですからね。
ライスシャワーの同期で活躍している種牡馬はバクシンオー位、ブルボンもいい仔は出せませんでした。あとはレガシー…おっと失礼
エアグルーヴの様にコンスタントに活躍馬を出す牝馬も希少です。
国際化の時代にも関わらず、好きな馬の仔が見られる事の幸せをひしひしと感じます。 -
絶・天狼抜刀牙さん
>>ウララ◎さん
普段ゲームをしない私はウイニングポストをするためだけにゲーム機買ってます(笑)
競馬の師匠がやっていたウイニングポスト1で、一頭私の馬をもらって、そいつが大活躍(笑)
その名前が
サマーサスピション
実在馬のデビューより5年位前の話です。 -
>>絶天狼抜刀牙さん
はい、子供見てみたいです
ライスシャワーに限らず、ホクトベガやサイレンススズカなども見たい
この?頭はWinning Post ってゲームの中で必ず活躍させてます□ -
えあぐるさん
ライスシャワーの頃はまだ競馬はまってませんでしたがステイヤーとしての評価をされてたライスは、引退させたかったけど種牡馬として人気がなく、宝塚で中距離実績を残したかった、得意の京都で行われることだし、といった事情があったようですね。その後ヒシミラクルが同じようにステイヤーといわれて勝ったときや、的場騎手騎乗のグラスワンダーが宝塚で故障したけど予後不良にならずにすんだときは、ライスが守ってくれたのかな、と思ったりしました。
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絶・天狼抜刀牙さん
>>ウララ◎さん
当時はスピード競馬が重宝されだした頃で、スタミナ一辺倒のリアルシャダイ産駒には受難の時代でした。超良血のステージチャンプでさえ種牡馬にはなれていません。
ライスシャワーも中距離のタイトルが欲しかったのでしょう。
ただ、子供が見たかったです。 -
ライスシャワーは僕が競馬始める前の競走馬です□
僕の感想でコメントします□ライスシャワーは菊でブルボンの三冠を阻止□天春でマックイーンを倒し□本物のステイヤーだった□ライスシャワーにはライスシャワーのステージが在った
人の勝手で向かない距離を走っての最期、ホントに残念と言うか悔しいくて悲しい瞬間でした。結果だけ言えば、長い暗闇から脱出したライスシャワーを栄光と言う盾を掴んだ時に引退させるべきだったと思います僕は個性的な馬が好きだからライスシャワー見たいな馬は大好きです□ライスシャワーは□で見て始めて見た最期のレースは泣きました