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2012/03/06 21:53
こんな世代になったのか・・・
競馬ニュースを見てたら、懐かしい名前・・・
「トウケイニセイ」
自分が、競馬に興味を持ち出して間もない頃、当時の競馬のダート界は、グレードレースもほとんど無く、芝で走らない馬が泣く泣く使ってると言う時代でした。
また地方馬の名前を見る事が出来るのは「オールカマー」と言う時。
そんな時代に日本ダート界で無敵状態だったライブリマウント(ドバイWC6着)と言う馬が居たんだが、この馬が脂の乗り切ってる時の南部杯(交流グレードレース)で、勝ったんだが、結果を見て「3着トウケイニセイ牡9」
地方の9歳馬が3着
自分にとっては、衝撃的だった。
完全にピークを過ぎてるはずの老馬が、脂の乗り切った化け物に「たった2?3馬身しか」離されずにゴールしてたのだ。
当時は、今の様にネットで簡単に調べられる時代じゃなく、スポーツ新聞で情報を仕入れてる程度だったので、名前と9歳馬が・・・。と言う印象で終わってた。
数年後、岩手の雄メイセイオペラ号が、中央G1フェブラリーSを制覇。鞍上は菅原勲騎手。
菅原勲騎手が、トウケイニセイのピーク時と比べたらまだまだな馬ですよの様なニュアンスのコメント。
その頃から地方競馬にも凄い馬が居るのかトウケイニセイは、とんでもない名馬だと言う事を知りました。
またモリユウプリンスと言う最強のライバルと何レースも死闘を繰り返してました。
この頃の水沢競馬は凄く盛り上がってたんだろうな?と、想像しただけで感動してました
この頃に生でトウケイニセイの走りを見た方は、本当に羨ましいです
その後も、別の競馬場で活躍してた馬ですが、アマゾンオペラやトーシンブリザード、ライデンリーダーと言った地方の名馬が中央の大レースで互角に戦ってた記憶が蘇って来ました。
私の地方競馬に対する興味を持たせてくれたトウケイニセイ号が亡くなりました
色んな角度から競馬を見れる様になったのは、間違いなくトウケイニセイ号のおかげでした。
ありがとうトウケイニセイ。さよならトウケイニセイ。