82件のひとこと日記があります。
2011/12/20 14:11
競馬偉人伝 6 有馬頼寧(ありま よりやす)
今年も早いもんでG1も有馬記念を残すのみ!
終わり良ければ全て良しで有馬記念だけはバシッと馬券当ててクリスマスプレゼントとお年玉の両方JRAから頂かねばと、自分も含めてこの1週間予想に躍起になる人も多いこの時期だからこそ有馬記念のルーツを探って、違う角度から有馬記念を楽しむきっかけになってくれたらと思い紹介します!
そもそも有馬記念の有馬とは何ぞや? 自分が競馬を始めた頃は地名なんだろうと思ってました。 違いました(^-^;) 人物名でした。前回紹介した日本中央競馬会初代理事長の安田伊左衛門が自分の後釜として要請した人物こそ、日本中央競馬会第二代理事長・有馬頼寧(1884〜1957)。調べると家柄がまた凄い!旧筑後国久留米藩主有馬家第15代当主。 東京帝国大学農科卒業だから安田の大学の後輩にあたる。 有馬が理事長に就任した1955年と言えば戦後の荒廃から日本経済が繁栄の道を模索していた激動の時代で当然競馬場の各施設も荒廃していた。そこで有馬が打ち出したのが通称・有馬特例法。 これは1956から1960年までの5年間で年2回臨時競馬を行い、その収益だけは国庫納付を免除し、競馬場施設及び厩舎の改築費用に充てるというもので、これにより競馬場施設の近代化がなされた。U+A0馬に関しては無知だった有馬だが競馬のPR機関である中央競馬サービスセンターの創設・日本短波放送による実況放送の開始・競馬場内に託児所や遊園地を設置するなど日本中央競馬会史上最もファンサービス拡充に努めた理事長として認知されている。U+A0 そして野球好きだった有馬はプロ野球のファン投票によるオールスターゲームにヒントを得て競馬のオールスター戦を発案。それが1956年に初開催された「第一回中山グランプリ」。 大盛況だったが翌年有馬は急性肺炎の為72歳で逝去。彼のそれまでの功績・功労を称え1957年から中山グランプリは名称を「有馬記念」と代えた。 人物名がG1に刻まれているのは「安田記念」と「有馬記念」のみです。有馬頼寧という人物を知ってからの余韻と有馬記念当日のレースの感動を楽しんでみんなが笑顔で2012年を迎えられたらそれが一番イイッすね!