847件のひとこと日記があります。
2013/07/26 18:20
印環細胞癌という現実。
主治医から兄の病状の説明があり、終末が近いことを告げられました。
入院してわずか1ヶ月と20日。帰宅したいという願いは届きませんでした。
術前の病巣摘出後、早ければ翌日から歩行訓練、2週間後にはカテーテルを装着して、
退院して抗がん剤治療を始めるという予定でしたが、全てが予定通りには運びませんでした。
手術した6月14日の10日後には本人が元気に実家の母に電話し、7月上旬には
退院できると伝えていました。しかしその直後、手術箇所に出血がみられ、
さらにその4日後には1リットル以上の大出血となりました。
以降、1週間の間に5回もの血管造影・止血処置が行われましたが、完全止血には
至りませんでした。またその間も輸血を繰り返しましたが、血が止まりない状況が
改善されずに、首筋に点滴と輸血のために行ったカテーテル手術も針を刺した場所の
出血が止まらず、血種が首筋まで大きく広がり、器官を圧迫するに至りました。
出血の危険はあったものの人工呼吸器の管を挿入する手術を行いました。
その時点で話すことができなくなり、さらに状態が悪化したために、意識レベルを
落として眠った状態に近い状況で治療を続けることになりましたが、依然として
止血が完全にはできませんでした。
腫瘍マーカーの値は一般の方の5程度に比べ、術前の21から2,870と爆発的に
跳ね上がり、浸潤していた癌細胞が急激に活動を開始したことを示していました。
すでに骨髄抑制の状態となっていて白血球の数値は700以下にまで落ちてしまい、
すでに感染症が会陰部で起きている状態でしたが、止血に問題があるために有効な
洗浄治療ができません。さらに腎機能が落ちはじめ、尿が出にくくなっているので、
全身状態が悪化していきます。
手術箇所の痛み、止血処置のたびの痛み、説明どおりに毎回進まない治療。
全てにおいてここに至るまでの過程で、本人は苦しみぬいてきました。
手術からわずか40日でここまでひどい状態になるとは夢にも思っていませんでした。
確かに印環細胞癌という直腸がんには稀な悪性腫瘍(発症率0.2%)であることから、
余命1年半から2年ということは先に告げられていたにしても、回復がままならないどころか、
退院すらできない状況に陥るとは、治療チームですら予測できなかったようです・・
今日告げられたのは持ちこたえて1週間という、わずかな余命期間でした。
兄嫁と共に全ての希望が絶たれたような気がしています。
兄の高校3年生の息子には、私から現在の状況全てを話しました。
私の事を思いやって「本当にありがとう」と言ってくれた甥っ子。
私の母であるおばあちゃんを思いやってくれる、先日嫁いだばかりの姪っ子。
兄は素晴らしい子を育ててくれたと思います。
代われるものなら代わってあげたい。心底そう思う。
今できることを出来る限りしてあげたい。
何より兄弟として生まれてきたことを感謝しながら、
握った手の温もりと、かけている言葉が届いていることを・・・
2013年7月26日に記す。
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おるふぇのふぇさん
極めて厳しい状況に。
せめていまは少しでも・・・