ようこそドゥラメンテ
これまで35年競馬を見続けていて、どの馬が最強?などと考えたことは全くない。ただ思い出すんだ。たとえば四コーナーの一瞬の映像、音、匂い、肌ざわりとしての天候。そう、すべては断片としての記憶なんだ。主語は馬ではなく僕なんだ。
つまりは感覚的なものなのだ。ふとしたはずみで思い出す当時の自分。そこにはいつだって僕がいる。当たり前だけど、、、
あの馬があの時強かったと思うのでなく、あの時凄かったと思うか、いかに心揺さぶられたのかなんだ。
そしてドゥラメンテの皐月賞は僕の思い出、記憶の断片となった。