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2015/02/28 02:53
掲示板からの転載(キタノカチドキより)ー序二段
キタノカチドキの枠順に就いて思うことを書いてみます。初の単枠指定(シード制)と成ったキタノカチドキ陣営が引き当てたのは7枠で、'74年は当時のフルゲート28頭には成らず、世代の牡馬の層も薄かったのか23頭立てで、19番枠でした。若し28頭立てなら、キタノカチドキは24番枠で、もっと酷かったことになります。前年のタケホープは21番枠で勝ってますが、これは'55年のオートキツの21番と並んでダービー最外枠勝利のタイ記録でした。さらに雑誌のダービー回顧特集に依れば、戦後間もない'48年のミハルオーはバリアスタートの時代で、きちんと整列出来なかったのか、外枠発走に成ったと書かれています。ミハルオーは23頭立ての8番ですが、実質的には23番枠だったことになります。記録に出て来ない大外記録なんでしょうが、8番枠のダービー馬もこの当時はミハルオーだけで、実質8番で勝ったダービー馬は'87年のメリーナイスが初めてになるんですね。最外勝利の21番より内の枠で勝ち馬が居なかったのが20、19、17、15の馬番で、鞍上の武邦さんがその2年前のロングエースでゼッケン6番と馬体重500Kg以上の未勝利記録のジンクス破りを成し遂げていたので、「今回は19番のジンクス破りを」と期待しましたが、残念な結果になりました。
皮肉なことに、2年後の'76年のクライムカイザーが20番、翌'77年のラッキールーラが24番で勝利し、後者はキタノカチドキと同じ先行タイプなので、ダービーの敗因は枠順以上に、厩務員ストによる皐月賞順延が原因でしょうね。
因みに、20番は'91年のトウカイテイオーがフルゲート20頭の最後の年にその枠で勝ちましたし、17番は'82年のバンブーアトラス、フルゲート18頭の時代の'94年のナリタブライアン、15番はフルゲート18頭に成った最初の年の'92年のミホノブルボンと悉くジンクスが破られていて、結局19番は誰も勝ち馬が居ないままに、フルゲート18頭に成ってしまって大いに残念無念珍念で御座います。