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2015/05/10 21:33
サイレンススズカの話 (その4)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「サイレンススズカの話」の第4話を書かせていただきます。
育成牧場では早くも大器の片鱗をみせていたサイレンススズカ、明け3歳になった平成8年2月、いよいよ競走馬としてデビューすることとなります。
(馬齢表記については現行の満年齢での表記といたします)
☆サイレンススズカが橋田満厩舎に入厩したのは平成7年の11月のことです。
同期の馬よりはかなり遅い入厩となりましたが、これは馬体の成長を待ってから入厩させたいという橋田師の要望があったからです。
でも、いざ調教を始めてみるとサイレンススズカは坂路で一番時計を出し、併せ馬では準オープングラスの馬を置き去りにするなど、随所でスケールの大きな走りを披露していました。
2月1日、京都芝1600mで行われた新馬戦に「乗れる若手騎手」として売り出し中だった上村洋行騎乗で出走したサイレンススズカは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されました。
橋田師は上村騎手に「馬ごみの中で競馬をさせてくれ」という指示を出していましたが、上村騎手はその指示通りには乗れませんでした。
他馬とはスピードが違いすぎたのです。
サイレンススズカは好スタートから馬なりのまま先頭に立つと、そのまま最後まで馬なりのまま先頭でゴールしました。
2着馬との差は7馬身まで開いていました。
上村騎手は全くと言っていいほど馬を追わず、ただ掴まっていただけでした。
このレースでプレミアート(5着)に騎乗した武豊はサイレンススズカの走りを目の当たりにして「しまった!とんでもない馬を逃してしまった。今年のクラシックは全部この馬に持っていかれる」と歯噛みしたそうです。
この年のサンデーサイレンス産駒は不振といわれていましたが、遅れてきた大物サイレンススズカの鮮烈なデビュー勝ちは関係者、ファン、マスコミに「今年のサンデーサイレンス産駒の真打ちはこの馬だ」ということをはっきりと認識させるものでした。
初勝利の直後から陣営は「スズカをダービー馬にする」ことを目標に動きはじめました。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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reibunさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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reibunさんがいいね!と言っています。
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genetさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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genetさんがいいね!と言っています。
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はちわれさん>コメありがとうございます(^_^)
この年のサンデーサイレンス産駒はクラシックで活躍できませんでしたが、サンデーサイレンスは一時期思うように繁殖牝馬が集まらなかったんですよ。
実績がまだないのに種付け料がやたらに高かったから(--;)
あと、当時の社台の繁殖牝馬はノーザンテースト産駒がわんさかいたんですが、サンデーサイレンスと母父ノーザンテーストって、実はあんまり相性が良くないんですよね。
ブライアンズタイム産駒が躍進した理由は、やはりナリタブライアンの活躍があったからだと思いますよ。 -
はちわれさん
こんばんは( ・∇・)
97年のクラシックはSSの初年度産駒が猛威を奮う前に種付けされた3世代目でステゴやスズカがいたもののやや小粒、対してBT産駒が大躍進しましたね(^^)
ランニングゲイルやメジロライアン産駒が大活躍したり、騎手も大西直宏の二冠や安田富男無念のダービー除外などがありとにかく個性に富んだ年でした(^-^; -
はちわれさん>こんにちは( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
ランニングゲイルの父のランニングフリーは私が学生の頃に走っていた馬でしてね(・_・)
88年の春天でタマモクロスの2着に入ってます。
ランニングゲイルは武豊が吉田照哉氏に「今年はサンデーサイレンスでもトニービンでもなくランニングフリーですよ」と豪語したほど惚れ込んだ馬なんですがねえ〜(^_^;) -
はちわれさんがいいね!と言っています。
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はちわれさん
こんにちは(^^)
当時デビュー戦後は競馬関係者が皆凄いのが出て来たと大騒ぎでしたね。
弥生賞への期待は膨らむばかりでした(^^)
武豊のお手馬だったランニングゲイルは超マイナーな血統ながら弥生賞でド派手なマクリ勝ちをしてインパクトがありました(^-^; -
広瀬北斗さん>おはようございます( ^∀^)
「いいね!」ありがとうございます(^_^)