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2015/05/25 21:02
アイネスフウジンの話
こんばんは(*・∀・*)ノ
いよいよダービーウィークに突入しました。
今週は日記もダービー仕様にして、ダービーのことを中心に書いていきたいと思っています。
(nプロ会報もちゃんとやります)
今日は1990年のダービー馬、「走る精密機械」ことアイネスフウジンについて書かせていただきます。
アイネスフウジンといえば「ナカノコール」を思い出される方もおられると思います。
当時36歳の地味な中堅騎手というより度重なる減量失敗と自らの不祥事(バイク事故)のために完全に干されていた引退間際の騎手、中野栄治が武豊、横山典弘の人気若手騎手を抑えて見事にダービージョッキーとなった直後、東京競馬場に詰めかけた19万6517人(たしかギネス記録のはずです)の大観衆から自然発生的に巻き起こった「ナカノ!ナカノ!ナカノ!」の大声援は日本競馬史にのこる感動的なシーンでした。
アイネスフウジンはとても人なつっこい馬でした。
2歳の時に中野騎手と初めて対面した時にはいきなり中野騎手の手をペロペロとなめたのだそうです。
アイネスフウジンは一生懸命走る馬でした。
大好きな人たちのために走り続けた馬でした。
中野騎手はダービーの時、「2300mの競馬をした」と後に語っています。
過去のダービー馬は必ず残り100mの時点で先頭に立っていた場合は必ず押しきっていることを知っていたからです。
「残り100mの時点で先頭なら、俺の馬が勝つ」そう確信していたそうです。
アイネスフウジンはハナを切ると1F12秒前半のラップタイムを正確に刻み続け、中野騎手の狙い通り先頭のまま残り100mを切りました。
しかし、その時点でアイネスフウジンの脚は完全に止まっていました。
レースレコードを大幅に更新するほどのハイペースで逃げ続けていたアイネスフウジンの脚は限界を超えていました。
しかし、アイネスフウジンは中野騎手の渾身のムチに応えて、さらに限界を超えます。
後方からは若武者横山典弘とメジロ牧場が送り込んだ大器メジロライアンが鬼神のような末脚でアイネスフウジンと中野騎手を捉えようとしましたが、1馬身1/4差に詰め寄るのが精一杯でした。
限界を超えた走りでダービー馬となったアイネスフウジンでしたが、彼の脚はもう2度とターフに戻ることはできないほど傷ついていました。
惜しまれながら引退、種牡馬入りしたアイネスフウジンは統一重賞を勝ちまくった女傑ファストフレンドを出し、17歳でこの世を去るまで現役種牡馬として産駒を送り込みました。
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トウショウトリガーさん>コメありがとうございます(^_^)
アイネスフウジンは気のいい馬でした。
顔立ちにもそれがにじみ出ていますね( ^∀^) -
トウショウトリガーさんがいいね!と言っています。
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トウケイニセイ005さん、こちらもいい写真ですね。
アイネスフウジンは線の細い日本的な顔立ちですね。 -
広瀬北斗さん
あそこまでの混雑はもう無いでしょうね…またあったらもう齢ですから避けますが(苦笑)。
電車の混み方は異常でした(当日のG1は凄かったにしても群を抜く)。ただまだ京王線が新宿駅直通運転を10分に1本は出してくれていたので,何とかなりました(笑)。 -
広瀬北斗さん>こんにちは( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
あのとき府中にいたんですか?
羨ましい(^o^)
20万人近い観客が入ったっていうのは今考えると驚異的ですよ。
帰る時はかなり混乱したでしょうね。 -
広瀬北斗さん
現場にいましたが,暑くて熱い一日でした。
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reibunさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
reibunさんがいいね!と言っています。
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ウィズダムさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
アイネスフウジンはストーリーの多い馬でしてね(・_・)
中野騎手と加藤修甫調教師の絆とか、オーナーの悲しい死とか....
でも人に愛された馬で、種牡馬として一度は失格の烙印を押されたアイネスフウジンでしたが、加藤師が中心となって奔走して宮城県内で種牡馬として生き残れるように手配したんです。
アイネスフウジンが宮城に去った直後にファストフレンドが重賞を勝ちまくったものですから、北海道の生産牧場ではアイネスフウジンを種付けできなくなったことを残念がっていたそうです。 -
ウイズダムさん
こんばんは。
アイネスフウジンは、凄い馬だったのですね。
(。>д<)でも、限界を超えるほど走ってはだめでしょう。
ダービー後の走りも見たかったですね。
産駒を世に送り出せたのは、唯一の救いです。
でも、17歳…少し早い死です…