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2015/05/31 21:05
サイレンススズカの話(その7)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「サイレンススズカの話」の第7話を書かせていただきます。
プリンシバルSを勝ってダービー出走を確実なものとしたサイレンススズカですが、3歳春の大一番では困難な問題が次から次へと襲ってきます。
☆サイレンススズカの調子はプリンシバルSを境に下降線をたどっていってしまいました。
原因はオーバーワークでした。
ダービーを目前にして、強い調教が続けられていたサイレンススズカの疲労はピークに達していました。
残念なことに橋田満調教師をはじめとする陣営の人たちはスズカの変調に誰一人気がつきませんでした。
スズカが調子を崩していることがはっきり分かったのは、当日のパドックでのイレこみ具合のひどさからでした。
陣営はレース戦略についても難しい判断をしなければなりませんでした。
その理由は皐月賞を逃げきったサニーブライアンの鞍上大西直宏騎手の「逃げ宣言」です。
大西騎手はマスコミを前にして「何がなんでも逃げる、どの馬がこようが関係ない」と快気炎をあげ続けていました。
実はサニーブライアンは臆病な馬で、他馬が寄ってくると怖がって前に行きたがるんです。
大西騎手の「逃げ宣言」は単騎逃げに持ち込むための計略でした。
サイレンススズカ陣営は「あくまでもハナに行くか、番手に控えるか」の二者択一を迫られました。
そして橋田師が下した決断は「番手に控える」ことでした。
サイレンススズカが前走で番手に控えて勝っていること、サニーブライアンが皐月賞を勝てたのは後続の人気馬がこぞって不利を受けたからで、ダービーではそういうことはもう起きないだろうと思われたこと、前で2頭がやりあって共倒れになるの恐れたことがその根拠でした。
しかし、陣営の思惑は完全に裏目に出てしまいました。
1997年6月1日、初夏の日差し眩しい東京競馬場で行われた第64回日本ダービー、橋田師から「控える競馬をしろ」と指示されていた上村洋行騎手はパドックでイレこむサイレンススズカを見て「これじゃあ指示は守れそうもないな...」と落胆したそうです。
レースはサニーブライアンが逃げ、サイレンススズカが2番手を追走する形で進んでいきました。
1000m通過タイムは61秒5、思惑通りサニーブライアンを単騎逃げさせることに成功した大西騎手は巧みに馬を操り、スローペースに持ち込みます。
サイレンススズカは道中ずっとかかりっ放し、抑えようとする上村騎手に「なぜ気分よく行かせてくれないんだ!」と反抗するかのようにハミを噛み続けました。
これでは府中の2400mは持ちません。
直線に入っても余力十分のサニーブライアンに対してサイレンススズカは完全に脚が止まり、馬群に飲みこまれていきました。
結果は9着、サイレンススズカのダービー挑戦は相手にも自分にも負ける大惨敗に終わってしまいました。
勝ったのはサニーブライアン、皐月賞に続く二冠制覇でした。
今週はここまでとさせていただきますm(__)m
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稲☆vistaさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
ブエナビスタのラストランは残念でした。
私にはJCで力を使い果たしたかのように見えました。最内枠が仇になって勝負どころで包まれてしまったとはいえ、それまでのブエナとは明らかに違って大人しすぎました(-_-;)
競馬はあくまでも勝負事ですから、打つ手がすべて裏目に出てしまうこともあります。
ダービーの時のスズカがまさにそれでした(__) -
稲☆vistaさんがファイト!と言っています。
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稲☆vistaさん
スズかはもっと速く走りたかったんですね
競馬っていろんなことあるから、騎手もお馬も大変ですよね。。。
ブエナも最後の有馬はずっと行きたい行きたいなってた(TT)
最後くらいブエナの好きなように走って欲しかったです。それだけが悔しい…
話しずれちゃったけどΣ(-∀-;)スミマセン笑
またまたありがとう♪ヽ(´▽`)/ -
はちわれさん>コメありがとうございます(^_^)
2000mでスズカを負かす馬がいるとすれば、前半3Fと上がり3Fを33秒台でいける馬でしょう。
そんな馬どこにもいませんよ(^_^;) -
ワイドボックスさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
「ディープが一番勝ちにくいタイプの馬」って言ってましたね。
スズカは自分でレースを作れる分だけディープより有利ですから、スタミナが持つ分だけはスズカの勝ちでしょう。
まあ、ダービーはレースどころじゃなかったですから9着でも御の字かもしれませんね(__) -
はちわれさん
武豊はスタートで逃げて直線で追い込む競馬スタイルの完成形だと評していました。
日本の馬場でなら2000mでスズカを負かせる馬はいないと今でも思います(-_-).。oO -
ワイドボックスさん
確か、1800だか2000ならディープでも届かないみたいなこと言ってましたよね。
しかし、距離が長くさらに掛かりっぱなしで9着ならある意味、さすがですね。 -
はちわれさん>こんにちは( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
当時のプリンシバルSは2200mでしたが本格化前のマチカネフクキタルにクビ差まで迫られてますし最後は脚が止まりかけてましたから、個人的には2200が限度かなとは思います。
ユタカは大丈夫と言ってたみたいですが、もしJCに出てたらエルコンドルパサーには勝てなかったでしょうね(*_*; -
はちわれさんがいいね!と言っています。
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はちわれさん
こんにちは( ^∀^)
ダービーは負けるべくして負けたのですね (-_-)
距離自体はどうだったのでしょう。
確勝を見込まれていた天皇賞のあとは同じ舞台のJC出走を明言し、武豊も2400mでも大丈夫だと言っていました。
JCでのエルコンとの再戦、まさに夢でしたね(-_-).。oO