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2015/06/14 20:12
サイレンススズカの話 (その9)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「サイレンススズカの話」の第9話を書かせていただきます。
神戸新聞杯では上村洋行騎手の緩慢な騎乗のせいで勝てるレースを落としたサイレンススズカ、菊花賞には向かわずに新パートナー河内洋騎手と共に天皇賞秋を目指すことになりました。
☆1997年10月26日、秋晴れの東京競馬場で第119回天皇賞(秋)が行われました。
重賞未勝利の身でありながら4番人気(17.6倍)に推されたサイレンススズカはスタートから軽快に飛ばし、一時は後続に10馬身差をつける大逃げを見せました。
4歳時の快進撃を予感させるような逃げでしたが、当時のサイレンススズカはまだ能力に馬体がついてこない状態なうえに精神的にもまだまだ未熟でした。
サイレンススズカは鞍上河内騎手の指示に従わずに、ただガムシャラに走っていただけでした。
河内騎手も途中で御するのをやめ、馬の行く気に任せるしか手がありませんでした。
それでも直線に入り残り200mのところまでは先頭をキープしていましたが、最後には脚が止まり、6着という結果に終わってしまいました。
サイレンススズカの次走には11月22日に行われる京阪杯(京都1800m)が予定されていましたが、ここで予想外のことが起こりました。
香港国際カップ(シャティン芝1800m)に選出されたのです。
陣営は香港までのスケジュールを考慮して、サイレンススズカを京阪杯の1週前に行われるマイルCSへ出走させることにしました。
天皇賞から中2週、決して楽なローテではありません。
マイルCSはサイレンススズカにとって生涯最悪のレースとなってしまいました。
パドックでもカリカリしていたサイレンススズカは、1000m56秒5の超ハイペースで逃げる桜花賞馬キョウエイマーチをムキになって追い続けた結果、直線入り口でバテバテになって15着に惨敗してしまいました。
サイレンススズカがカリカリしていたのには理由がありました。
もともとサイレンススズカには馬房で左に旋回する癖があったんですが、天皇賞の頃にはこの癖がより顕著になり、回るスピードも速くなる一方でした。
「このままじゃいつ壁にぶつかってケガをしてもおかしくない。なんとか止めさせなければ...」
厩務員の加茂力さんはサイレンススズカの旋回癖を直すために色々と手を尽くしましたが、どれもうまくいきませんでした。
マイルCSを目前に控えた頃、加茂さんはついに強硬手段に出ました。
馬房の天井から畳を吊るしたのです。
畳を吊るしたことでサイレンススズカは左旋回をやめましたが、それまで毎日行ってきたルーティンワークである左旋回が出来なくなったことでストレスを溜め込んでいってしまいました。
それがパドックでの苛立ちにつながり、レースでの暴走を招いてしまったのです。
マイルCSの直後に畳は外されました。
惨敗の原因が畳にあることに気づいた加茂さんは再び馬房でクルクル回りだしたサイレンススズカに「すまなかったな(-_-;)、余計なことをしてしまった..」と詫びたそうです。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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モンチャックさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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はちわれさん>こんにちは( ^∀^)
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
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トウショウトリガーさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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トウショウトリガーさんがいいね!と言っています。
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reibunさん>コメありがとうございます(^_^)
旋回癖は最後まで直らなかったので、おそらくは生活のリズムを保つための手段じゃなかったかと思うんですよ。
スズカは身体が柔らかかったので畳を何枚も吊るさないとすり抜けてしまうんだそうです(・_・) -
飛虎さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
ウィズダムさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
あまりにも速く回るんで自主トレじゃないかっていう説もありましたね(^_^;) -
reibunさん
動画で、おもちゃが沢山吊るしてある馬房は見たことありましたけど
たたみとはびっくりですね。
この頃はまだ少し幼かったのでしょうかね。