2908件のひとこと日記があります。
2015/09/20 20:46
サクラバクシンオーの話(第1話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
今週から「サクラバクシンオーの話」を書かせていただきます。
日本競馬史に残る希代の韋駄天サクラバクシンオー、まずはその生い立ちから書き綴っていこうと思います。
☆1989年4月14日、社台ファーム早来(現ノーザンファーム)で一頭の鹿毛の牡馬が誕生しました。
仔馬の父は1986年の天皇賞秋を制した快速馬サクラユタカオー、母サクラハゴロモは1981年の有馬記念、1983年の天皇賞春を制したアンバーシャダイの全妹でした。
仔馬はサクラユタカオー産駒に共通した特徴である悍性のキツさはあったものの、人間に対しては従順であり、概ね順調に育成されていきました。
仔馬は2歳になると美浦所属の調教師、境勝太郎師のもとに送られていきました。
実は仔馬の母サクラハゴロモは境師が社台ファーム代表の吉田善哉氏から3年間の期限つきで預かっていた馬でした。
吉田氏はサクラハゴロモを社台ファームの基礎繁殖牝馬にしたいという意向を持っていて、当初は購入を申し入れた境師の要請を断ったんですが、境師の熱意にほだされて3年間の期限つきでの貸し出しを許可したんです。
サクラハゴロモは2勝をあげましたが、途中1年ほど故障で休養していたこともあって、境師は予定を1年繰り上げて2年でサクラハゴロモを吉田氏のもとに帰しました。
吉田氏はその埋め合わせとしてサクラハゴロモの仔を無償(境師はサクラハゴロモを有償で預かりました)で境師に渡したのです。
仔馬は境厩舎最大の得意先である全演植氏の持ち馬となり「サクラバクシンオー」という名を与えられました。
育成時代から非凡なスピード能力を発揮していたサクラバクシンオーですが、境師も全オーナーも当初はサクラバクシンオーの血統(伯父にアンバーシャダイ、従兄に1991年菊花賞2着のイブキマイカグラがいる)からクラシックを意識していたそうです。
しかし抜群のスピードを持つサクラバクシンオー、陣営は確勝を期してデビュー戦を1992年1月12日の新馬戦(中山ダート1200m)に定めました。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
広瀬北斗さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
血統だけ見たら2400仕様なんですよ(^_^;)
ダービーを目指したくなる気持ちもわかりますよ(*_*) -
広瀬北斗さん
私も血統の字面から皐月賞までは行けるのではと思っていました。
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とうけいにせいさん
msz-006さん>おはようございます( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
この馬も記憶に残る馬でした。
日本競馬にスプリンターという概念を植えつけたのはこの馬ですよ(^o^) -
とうけいにせいさん
reibunさん>おはようございます( ^∀^)
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
Affirmedさん>おはようございます( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
名前の通り爆進し続けた馬でしたね(^o^)
この馬がいたから日本馬は世界に近づくことができたんですよ(^_^) -
とうけいにせいさん
タヌキち〜んさん>おはようございます( ^∀^)
コメありがとうございます(^_^)
3歳の時のサクラバクシンオーは脚元が少し弱かったから、脚元の負担の軽いダートを走らせたんでしょうね。 -
msz-006さん
こんばんは!
バクシンオーには相当な思い入れがあります。小島太調教師がまだ騎手であった頃の晩年の名スプリンター。ノースフライトとの名勝負。未だに残る、阪神1,400mのレコード等語り口は沢山有りますね(^-^)/ -
reibunさんがいいね!と言っています。
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Affirmedさん
バクシンオー、この名前は本当にこの馬に相応しい名前だと思います。名前負けしなかった数少ない馬ですよね。
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Affirmedさんがいいね!と言っています。