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2015/10/25 21:44
サクラバクシンオーの話(第7話)
あらためましてこんばんは(*・∀・*)ノ
「サクラバクシンオーの話」の第7話を書かせていただきますが、サクラバクシンオーは1992年のスプリンターズSの後、脚部不安のために翌1993年の春シーズンを全休してしまいます。
そこでサクラバクシンオーが休養している間に(笑)彼を取り巻く人々のことを少しだけ書いていこうと思います。
今回は不動の主戦騎手として全21戦で手綱を取った小島太騎手(現調教師)について書かせていただきます。
☆小島太伝説(その1)
サクラバクシンオーを始めとする「サクラ軍団」の主戦騎手として活躍してきた小島太さんですが、その人物像は「昭和のジョッキー」そのものでした。
昔のジョッキーは私生活でも豪放磊落な人がたくさんいましたが、もちろん小島さんもその一人、特に酒豪として知られていました。
深酒が過ぎて朝の調教に出遅れることは珍しくもなんともなく、ベテランの域に達した頃には二日酔いを理由に朝の調教に出ず、師匠であり当時は舅でもあった境勝太郎調教師の自宅で悠々と朝食をとりながら同席していたトラックマンの取材に応対していたそうです。
狂気の逃げ馬として知られたサクラエイコウオー(1993年弥生賞勝ち馬)が新馬戦でコーナーを曲がりきれずに大逸走して競走中止になってしまった時に境師がなかば呆れ顔で「乗り役が酒を買いに行ってしまったよ(-""-;)」と語るほど、お酒に関する武勇伝のつきない人だったんです。
身長は163センチ(騎手時代)、当時のジョッキーとしては長身の部類に入りました。
子供の頃からジョッキー志望だった小島さんは少年時代、身長が伸びないように箪笥の引き出しの中で眠ったり、足が大きくならないように包帯で足をガチガチに巻いたりして身長が伸びないように努力していたそうです。
しかし小島少年の願いも虚しく身長は伸び続けました。
ある時に偶然知り合った競馬関係者と名乗る高校生に「将来騎手になりたいんです」と打ち明けた小島少年、それに対してその高校生は「君は無理だ。背が大きすぎる」と冷たく突き放したそうです。
ちなみにその「競馬関係者」とは後にミスターシービーでクラシック三冠を制覇した名トレーナー、松山康久氏のことで、松山氏は父吉三郎氏と共に親子二代でのダービートレーナーとしても知られています。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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広瀬北斗さん
週刊誌にデカデカと載っていました(苦笑)。
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とうけいにせいさん
広瀬北斗さん>コメありがとうございます(^_^)
たしか境師が引退した直後に長女である奥さんに三下り半を叩きつけられたんですよね(^_^;) -
広瀬北斗さん
女性関係も破天荒でしたね。
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とうけいにせいさん
飛虎さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
3歳時のサクラバクシンオーはスピードだけが一級品で、あとはまだまだ子供だったんですよ。
馬が本当の意味で成長したのは4歳の秋からです。
脚元については厩舎スタッフがそれこそ寝食を忘れてケアに務めたからこそ、故障せずに競走馬生活を全うできたんですよ(^_^) -
とうけいにせいさん
msz-006さん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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とうけいにせいさん
タヌキち〜んさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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とうけいにせいさん
reibunさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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飛虎さんがいいね!と言っています。
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飛虎さん
こんばんは。
昨日は早く寝てしまったので、いまごろお邪魔しています。
脚部不安でよく大成してくれました。
また尋常じゃないスピードで走ってたのに、よく持ってくれたと
思います。
小島騎手もすごいです。 -
msz-006さんがいいね!と言っています。