2908件のひとこと日記があります。
2015/11/16 20:21
ヒシアマゾンの話(第1話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
今週から「ヒシアマゾンの話」を書き進めていきます(^_^)
女傑として名を馳せたヒシアマゾン、まずは彼女の生い立ちから書かせていただきます。
☆1991年3月26日、アメリカ・ケンタッキー州にあるテイラーメイドファームで1頭の牝馬が産声をあげました。
仔馬の父はブリーダーズCターフなどGIを6勝した名馬シアトリカル、母はアイルランド1000ギニーの勝ち馬であるケイティーズ、「ヒシ」の冠号で知られる阿部雅一郎氏がテイラーメイドファームに預けていた持ち馬であったケイティーズに「ほとんど閃きで」シアトリカルを付けたオーナーブリードでした。
じつは阿部氏がケイティーズにシアトリカルを付ける時に周囲から反対されたそうです。
当時、シアトリカルは種牡馬生活3年目でまだ産駒がデビューしておらず、種牡馬としての能力が未知数だったからです。
しかし阿部氏は周りの声に耳を貸さなかったそうです。
シアトリカルを付けた理由は配合によって成立するニアークティックの4×3のクロスにこだわったことと、母ケイティーズがマイラーだったことで「シアトリカルなら距離に融通がきくんじゃないか」と思ったからだそうです。
かくして生まれた仔馬ですが、その馬体はヒョロっとしていて、お世辞にも走りそうには見えませんでした。
後に仔馬を管理することになる中野隆良調教師は仔馬の姿を見て難しい顔をしていたそうです。
おまけに仔馬の左の前脚は外向していました。
「脚元のおっかない馬だと思った。脚さえもてば走るだろうという予感はあったが、ちゃんと仕上がるかどうか不安だった」
調教助手である田端正照氏は当時のことをこう述懐しています。
幸いにも育成を経て中野厩舎に入厩し調教を始めた頃には脚元の不安はほぼ解消しており、調教を積むごとに厩舎スタッフは「この馬は走る」との期待感を高めていきました。
仔馬は「ヒシアマゾネス」という名前で馬名登録の申請が行われましたが、なぜか許可されなかったので「ヒシアマゾン」という名前で再度申請して許可され、正式に競走馬として登録されました。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
ハープ星さんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
飛虎さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!×2ありがとうございます(^_^) -
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飛虎さんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
どうも過去に「アマゾネス」というタイトルで成人映画っぽいものもあった様ですが,それ以上に一般的に「女傑」,「女勝り」的な使い方の方が上回っていると思うのですがね…
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とうけいにせいさん
広瀬北斗さん>こんにちは(*´∀`)ノ
コメありがとうございます(^_^)
なぜアマゾネスが駄目でアマゾンならいいのか?
理解に苦しみますねぇ(-.-)
マンガかテレビの影響でしょうかね? -
広瀬北斗さん
♀に「アマゾネス」を付けない事に違和感があったのですが,却下されていたとは…
まあ,解釈の違いはどこにでもある話ですが。 -
とうけいにせいさん
reibunさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
なぜ許可されなかったのかは謎ですが、結果的にヒシアマゾンで良かったですよ。 -
reibunさん
ヒシアマゾネスにならなくて良かったと思います(^o^)