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2016/02/07 21:41
ライスシャワーの話(第2話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ライスシャワーの話」の第2話を書かせていただきます。
「自らに関わった全ての人たちを幸せにできるように」という思いをこめてライスシャワーと名付けられた仔馬は育成時代を経て、いよいよ競走馬としてデビューします。
☆ライスシャワーは1歳になるとユートピア牧場の関連施設である大東牧場(千葉県市原市)に送られて、競走馬となるための基礎的なトレーニングを始めることとなりました。
馬体は小柄なままで脚元にも若干問題があったため、初めは他の育成馬たちに遅れをとっていたライスシャワーでしたが、人間に対して従順だったのが幸いしたのか、直に他の育成馬たちに追いつき、追い越すことができました。
概ね順調な育成時代を過ごしたライスシャワーは美浦の飯塚好次厩舎に入ることとなり、いよいよ競走馬としてデビューする体制が整いつつありました。
ライスシャワーを受け入れた飯塚師は彼を初めて見た時のことを「いい馬だとは思ったがGIクラスまで出世できるとは思わなかった」と述懐しています。
しかし、いざ調教をつけてみると単走より併せ馬で速い時計を出すライスシャワーに「競走馬として最も大事な闘争心には見るべきものがある。これは期待できるかもしれない」と、彼に対する見方をかえていきました。
ライスシャワーのデビュー戦は1991年7月の札幌開催が予定されていましたが、直前になって熱発してしまったために1カ月ほどずれ込んで、8月の新潟開催でのデビューとなりました。
8月10日、夏真っ盛りの新潟競馬場でライスシャワーは競走馬としてデビューしました。
舞台は芝1000m、後にステイヤーとして名を馳せることになるライスシャワーには似つかわしくありせんが、当時のライスシャワーはクラシック云々を語れるほどの期待馬ではなく、「とにかく勝てるところに出て勝ち上がる」ことが最優先されていたのです。
ちなみに当時の新潟競馬場は改修前の右回りコースで、芝1000mではコーナーが2つありました。
飯塚厩舎所属の若手騎手、水野貴広を鞍上に迎えたライスシャワーは(水野騎手が減量騎手だったため)50キロで乗れることもあって2番人気に推されました。
レースでは好位にとりついたライスシャワー、直線では1番人気ダイイチリユモンとの叩き合いとなりましたが、持ち前の闘争心を発揮してクビ差の1着、デビュー戦を見事勝利で飾りました。
新馬勝ちを果たしたライスシャワーはそのまま新潟に滞在し、2戦目に供えることとなりました。
2戦目は新潟3歳S(現 新潟2歳S)、早くも重賞に挑戦です。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
当時は1600以上の新馬戦は秋競馬から始まるのが通例でしてね、夏のローカル開催時は1200前後の距離で行うのが普通だったんですよ。
ライスシャワーはその血統から長めの距離が合いそうだというのは想像できるんですが、まずは勝ち上がらなければローテが組めませんからね(*_*) -
とうけいにせいさん
reibunさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
飛虎さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
タヌキち〜んさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
Affirmedさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
ハープ星さん
芝1000mですか!あっという間に終わってしまいそうですね(^^)
新馬戦を勝利しましたが
2戦目は順当にいったのでしょうか。次回のお楽しみですね♪ -
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