2908件のひとこと日記があります。
2016/02/14 21:02
ライスシャワーの話(第3話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ライスシャワーの話」の第3話を書かせていただきます
新馬戦を見事勝利したライスシャワー、次走で早くも重賞に挑戦しました
☆1991年9月1日、ライスシャワーの第2戦は新潟3歳S(芝1200m)が選ばれました。
3番人気に推されたライスシャワーでしたが、鞍上は新馬戦で手綱をとった水野貴広騎手が前日に騎乗停止処分を受けてしまったために急遽、菅原泰夫騎手(1975年にカブラヤオー、テスコガビーで春のクラシックを独占)に乗り替わりとなりました。
枠番は1枠1番、この時期の新潟コースは開催が進むにつれて内側が荒れてくるために内枠の馬はどちらかというと不利な立場に立たされていました。
おまけに相手も格段に強くなっていました。
1番人気ヤマニンミラクルは後に朝日杯で2着に入る素質馬で、2番人気で勝ち馬となるユートジェーンは京王杯3歳Sで2着に食い込んでいます。
乗り替わりに最内枠、そして相手強化となったレースに臨んだライスシャワーでしたが、スタートで出遅れたうえに速い流れについていけず11着に大敗してしまいました。
初の重賞挑戦は残念な結果となってしまいましたが、美浦に戻って調整を続けたライスシャワーは中2週空けた9月21日に3戦目となる芙蓉S(中山芝1600m)に出走しました。
水野騎手に手綱が戻り、2番人気に推されたライスシャワーは好位でレースを進めて直線入り口で先頭に立ち、最後は1番人気アララットサンの猛追をアタマ差凌いで2勝目を挙げました。
晴れてオープン入りとなり、翌年のクラシック戦線に向けてある程度のメドをつけたライスシャワーでしたが、不運なことにレース後に右前脚を骨折していたことが判明、休養しなければならなくなってしまいました。
当初は全治3ヶ月と診断され、骨折の度合いは軽微なものと思われましたが、予想以上に回復が遅れたために復帰までに6ヶ月ほどの期間を要することになりました。
ライスシャワーの復帰戦は翌1992年3月29日のスプリングS(中山芝1800m)となりました。
そしてライスシャワーはこのレースで初めてあの馬と出逢うことになります。
あの馬とは....名伯楽戸山為夫の最高傑作となった栗毛の超特急、ミホノブルボンのことです。
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
-
とうけいにせいさん
鱈ちゃんさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
手を抜かない馬なんですよ。
小さな体で一生懸命走るんですよ。
ライスシャワーはそんな馬でした(*´-`) -
鱈ちゃんさん
ライスシャワーは応援したくなる馬でしたね( ´∀`)
-
とうけいにせいさん
reibunさん>いいね!ありがとうございます(^_^)
-
reibunさんがいいね!と言っています。
-
とうけいにせいさん
Masaさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
マイナーでしかもスプリント血統のミホノブルボンが主役でエリート血統でなおかつステイヤー血統のライスシャワーがその他大勢、競馬は血統だけじゃないんですよね〜(*^^*) -
Masaさんがいいね!と言っています。
-
Masaさん
エリート血統とマイナー血統の
ドラマが始りますね〜 -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
ハープ星さんがいいね!と言っています。
-
とうけいにせいさん
タヌキち〜んさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
まあ...断っときますけど
最初の頃のライスシャワーは「その他大勢」でしたから(^_^;)