2908件のひとこと日記があります。
2016/03/11 19:22
3/11
こんばんは(^_^)
あの震災から今日で5年たったんですね
( ´_ゝ`)
被災地では今も復興事業が進められていますが、まだまだ十分とはいえません
今日は日本中で慰霊のための行事がおこなわれましたが、震災の記憶が年が経つにつれて薄れていってしまうことは被災地に生きる者として耐えがたいものがあります
50年、100年先の人たちにも震災の記憶を伝えていかなければならない、心からそう思います( ´_ゝ`)
今日は私が被災地で体験したことを少しだけ書かせていただきます
私の家は岩手県の内陸部なので震災の被害はほとんどありませんでした
2日ほど停電したくらいです
2011年3月20日、当時電気関係の仕事をしていた私は、壊滅的な被害を受けた岩手県沿岸部の宮古市という町に行きました
電気の復旧工事を行うためです
当地での復旧作業の進み具合はご遺体の収容作業が一段落した程度で、ライフラインは大半がマヒしたままでした
海沿いに伸びる国道45号線を車で走ると、津波の衝撃の凄さがすぐに理解できました
建物は徹底的に破壊され、至るところに瓦礫の山がありました
道端には生活用品が多数転がっていました
津波で破壊された家から流れ出たものでしょう
かつて住宅地だったところは土台だけが並んでいました
至るところに自衛隊が出動していました
美しい海には護衛艦が停泊していました
在日米軍の航空機も飛んでいました
被災地に足を踏み入れた私が見たものは、この世の終わりの風景でした
言葉など出てきませんでした
私は作業場所に到着するまで黙っていました
「自分は絶望しに来たのではない、困っている被災地の人たちを手伝いに来たのだ」と自分自身に言い聞かせながら....
作業場所である住宅地に着き、あるお宅の電気配線を修理していた時のことです
私のすぐ近くで、そのお宅の娘さん(小6)が友達と一緒に作業を見ていました
その子たちに言われることは1つだけでした
「ねえ、電気いつ点くの?」
私は電力会社の人間ではないので、もちろん正確なことはわかりません
電力会社の社員も近くにいたんですが、彼らにも正確なことはわからなかったんです
「あと3日くらい、いや4日かかるかな...ちょっとわからないんだよ(--;)」
私はこう答えるしかありませんでした
「電気点いたら家のおっきなテレビみるの(^o^)」
娘さんは笑いながら言ってました
彼女たちにはワンセグの小さな画面でテレビを見ることしかできなかったのです
私には作業を続けることしか、できることがありませんでした
そのうち友達がこんなことを言い出しました
「アタシ昨日マックくったよ(^o^)、紅茶も飲んだよ(^o^)」
それを聞いた娘さんは頬をプゥーとふくらませて友達の肩のあたりを叩きました
そのお宅からマクドナルドまでは車で10分少々しかかかりません
でも娘さんはマクドナルドに行けないのです
燃料不足が深刻なのでお父さんが車を出してくれないのです
私は黙って仕事をしていました
でも、周りに誰もいなかったら泣いていたでしょう
娘さんたちは明るく話してました
でも、聞いていた私は辛かったです
津波は全てをゼロにしたのではありません
全てをマイナスにしたのです
運よく助かってもマイナスからリスタートしなければならなかったのです
作業を終えて宿に帰る途中、テレビで見たことがある人に会いました
渡部陽一さんでした
TVクルーと一緒にいました
たぶんレポートしに来たのでしょう
彼の目には被災地の風景はどう映ったのでしょうか?
たぶん私と同じだと思います
私たちがいる場所は、この世の終わりを迎えた場所だったのです
あれから5年が経ち、町はだいぶ再建されてきました
瓦礫の山はもうありません
でも5年前に町を地震と津波が襲い、全てを破壊しつくしたという事実は永遠に消えません
被災地に生きる私たちには忘れたくても忘れられない出来事でした
最後になりましたが、震災で犠牲になられた18000人の方々のご冥福を心よりお祈りいたします
合掌
-
とうけいにせいさん
鱈ちゃんさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
被災地のみなさんは、みんな明るくて前向きです
でもまだまだ支援を必要としています
あと何年かかるかわかりませんが、「被災地」と呼ばれなくなる日がくるまで支援し続けていかなければならないと思います -
鱈ちゃんさん
みなさんあんなに酷い災害にあっても前を向いてますね( ´∀`)
見習わなければいけないです(--;)
あらためて亡くなられた方のご冥福をお祈りしますm(._.)m -
とうけいにせいさん
reibunさん>こんばんは(^_^)
コメありがとうございます(^_^)
被災地の方々の辛さは筆舌に尽くしがたいものがあります
私などは被災したうちに入りません
辛い思いはしましたが、何も失ってませんから
失ったものが多い分だけ、新たに得るものも多いのだと信じたいです -
とうけいにせいさん
スコッティー・キャメロンさん>こんばんは(^_^)
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
四毛ネコさん>こんばんは(^_^)
コメありがとうございます(^_^)
どちらも浜川目というところの風景なんですよ
私は2011年3月22日に作業のためにここを訪れました
あの日も海は穏やかでとても美しい海でした
護衛艦が停泊してなければもっと美しかったんでしょうけどね( ´_ゝ`) -
とうけいにせいさん
Masaさん>こんばんは(^_^)
コメありがとうございます(^_^)
原発事故のあった福島では、町全体が避難区域のままで住民が戻ってこれないところもあります
こちらでも海沿いの地域には住宅を建てられないので、そこら中更地です
たぶん爪痕は永遠に消えないんですよ
でも、新しいモノを作ることはできます
新しいモノに希望を乗せて進んでいくのが残された者の使命です -
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>こんばんは(^_^)
コメありがとうございます(^_^)
(すいません、「ー」にしないと文字化けしちゃうんですよ)
正直に言うと望んで被災地に行ったわけではありません
でも被災地に行って働いてきたことを後悔はしていません
被災地には絶望があふれてましたが、希望もあったんですよ -
reibunさん
お話下さってありがとうございます。
辛い思いをされた方々には、何倍もの幸せが訪れますよう願います。 -
スコッティー・キャメロンさんがいいね!と言っています。
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四毛ネコさん
何とも穏やかな海だ...