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2016/03/13 22:18
ライスシャワーの話(第7話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ライスシャワーの話」の第7話を書かせていただきます
16番人気ながら2着に激走し、クラシック二冠を達成したミホノブルボン陣営に脅威を感じさせたライスシャワー、秋初戦は菊花賞トライアルのセントライト記念が選ばれました
☆1992年9月27日、ダービー2着馬であるライスシャワーはセントライト記念に出走しました。
当時菊花賞は11月開催でして、一般的な菊花賞へのローテーションは9月のセントライト記念(中山芝2200m)、神戸新聞杯(阪神芝2000m)から10月の京都新聞杯(京都芝2200m、5着馬までに優先出走権が与えられる)、そして11月の菊花賞本番というものでした。
ライスシャワー陣営もこれに倣い、セントライト記念→京都新聞杯→菊花賞というローテーションを組みました。
良馬場の中山競馬場で行われた第46回セントライト記念、ライスシャワーは3番人気に推されました。
このレースには関西からレガシーワールドという馬も出走していたんですが、レガシーワールドはセン馬でした。
関西馬でセン馬でもあるレガシーワールドがセントライト記念に出走する...セン馬にはクラシックの出走権はありません、本来ならわざわざ関西から出向く必要などないんですが、異例の出走にはわけがありました。
レガシーワールドの鞍上は小島貞博騎手、そして管理調教師は戸山為夫氏だったのです。
レガシーワールドは戸山師が送り込んだ偵察要員であり、刺客でした。
目的はライスシャワーの仕上がり具合を小島騎手に確認させること、そしてもしもライスシャワーのデキがイマイチならば、上向く前に潰してしまうことでした。
戸山師はライスシャワーを警戒し、布石を打ってきたのです。
レースは逃げた4番人気レガシーワールドがそのまま押しきり、ライスシャワーは2着に惜敗しました。
しかしライスシャワーのデキはまだ7割程度、鞍上も的場騎手が函館遠征で不在のために田中勝春騎手が手綱を取っていました。
レースには敗れたものの、飯塚好次調教師率いるライスシャワー陣営に悲観の色はありませんでした。
ライスシャワーが順調に仕上がりつつあることを確認できましたし、何よりもミホノブルボン陣営がライスシャワーを脅威に感じていることがわかったことはライスシャワー陣営に自信を与えました。
「ミホノブルボンは越えられない壁ではない」
ライスシャワーの次走は京都新聞杯、いよいよミホノブルボンの地元に乗りこむ時がやってきました。
京都新聞杯はミホノブルボンの復帰戦でもあります。
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
Masaさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
競馬は情報戦でもあり、心理戦でもあるんですが、これに関しては戸山師の打った手が裏目に出ましたね(*^^*)
ライスシャワーを警戒するということは、ミホノブルボンに不安があるということなんですよ(^_^;) -
ハープ星さん
仕上がり具合を確認させたり
事前に潰しにかかったり。。と
そんな風なことをしたりするんですねぇ〜(^-^;
知りませんでしたo( _ _ )o -
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
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ブン♪ブンさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
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msz-006さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
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reibunさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
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