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2016/03/28 22:54
ヒシアマゾンの話(第20話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ヒシアマゾンの話」の第20話を書かせていただきます。
1996年、5歳となったヒシアマゾンはまるで燃え尽きたかのように凡走を繰り返ししましたが、復活を期してこの年古馬に開放されたエリザベス女王杯に出走しました。
☆1996年11月10日、どんよりとした曇り空が広がる京都競馬場で第21回エリザベス女王杯が行われました。
1番人気は前年のオークス馬ダンスパートナー、函館記念の勝ち馬ブライトサンディーが2番人気、府中牝馬S2着のフェアダンスが3番人気となり、4番人気はホクトベガ、ヒシアマゾンは5番人気まで人気を落としていました。
捲土重来を期したはずのヒシアマゾンでしたが、結果から書いてしまうとこの日はヒシアマゾンにとって厄日となってしまいました。
この日に限ってヒシアマゾンはゲートでさんざんゴネて枠入りを嫌いました。
あまりにもゴネたので外枠発走となってしまったヒシアマゾンでしたが、なぜか良いスタートを切り、道中は4番手を進みました。
1000m通過タイムは63秒1の超スロー、第4コーナー出口まで全馬が一団となって進み、まるで凱旋門賞のようなレース展開となりました。
ヒシアマゾンは4番手をキープ、すぐ後ろに1番人気ダンスパートナーがいる外目の位置取りから直線に入りました。
直線に入っても馬群は一塊のまま、ヒシアマゾンは外から末脚を伸ばします。
しかし、ここに落とし穴がありました。
残り100m付近でヒシアマゾンは急に内側に斜行、馬群の真ん中から抜け出しを図った10番人気シャイニンレーサーの進路をカットしてしまいました。
「しまった!」
中舘英二騎手が急いでヒシアマゾンの手綱を引き、軌道修正しましたが時すでに遅し、シャイニンレーサーは鞍上松永幹夫騎手が立ち上がるほどの不利を受けてしまいました。
結局ヒシアマゾンは2着に入線するも進路妨害を取られて7着に降着となってしまいました。
致命的なミスを犯してしまった中舘騎手に中野隆良調教師も我慢の限界に達し、中舘騎手は降板となってしまいました。
次走有馬記念は河内洋騎手が手綱を取りましたが、スタートで出遅れて直線だけの競馬になり、5着に食い込むのがやっとでした。
翌1997年シーズンも現役続行が決まり、シーズン初戦と定めた京王杯SCに向けて調整していましたが、ヒシアマゾンにはもう走る力は残っていませんでした。
右前脚に屈腱炎を発症、引退を余儀なくされてしまいました。
※今回はここまでとさせていただきます。
なお「ヒシアマゾンの話」は次回をもって完結とさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
Masaさん>いいね!ありがとうございます(^_^)
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Masaさんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
ブン♪ブンさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
周りの人たちの気持ちとは裏腹に、ヒシアマゾンはもう走りたくなかったんでしょうね。
おそらくヒシアマゾン自身は早く母親になる準備を始めたかったんじゃないかと思いますよ。 -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
名残惜しいですが来週でおしまいにすることにしました。
繁殖時代のヒシアマゾンは気の毒すぎて書く気になれないんですよ(-_-;) -
とうけいにせいさん
msz-006さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
ぼう0508さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
ブン♪ブンさん
ヒシアマゾンと中舘騎手にとって、最悪のときでしたね…残念です。
エリザベス女王杯が古馬牝馬に開放されたのが一年早かったら…と思うと、悔しいです。 -
ハープ星さん
屈腱炎ですか・・残念な形だったのですね(T△T)
でも、そろそろ潮時であったのかも知れませんね。。
次回で完結ですか。寂しいですね・・・ -
msz-006さんがいいね!と言っています。
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ぼう0508さんがいいね!と言っています。