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2016/04/25 21:26
メイセイオペラの話(第3話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「メイセイオペラの話」の第3話を書かせていただきます。
小さいだけで何の魅力もなかった幼い栗毛馬はより野生に近い環境のなかで鍛えられ、たくましく成長していきました。
中央デビューの話もありましたが、水沢・佐々木修一厩舎所属として岩手の地で
競走馬生活をスタートさせることとなりました。
☆1996年7月27日、盛岡競馬場で行われた中央認定競走(現ファーストステップ、勝ち馬はJRAのレースに出走が可能となる)がメイセイオペラのデビュー戦でした。
この年にオープンした新盛岡競馬場「OROパーク」のダート1000m戦に出走したメイセイオペラ、8頭立ての4番人気とさほど人気にはなりませんでしたが、レースでは終始楽な手応えで2着馬に4馬身の差をつけての楽勝、まずは順調な滑り出しを見せました。
デビュー戦の手綱をとった阿部英俊騎手は堂々とした勝ちっぷりに「オープンまでは出世できるだろう」と、十分な手応えを感じたそうです。
愛馬メイセイオペラのデビュー勝ちを小野寺良正オーナーは間近で見ることはできませんでした。
表向きは「所用で欠席した」ということになっていたそうですが、実は小野寺オーナーは病魔に侵されており、ベッドで寝たきりの状態だったそうです。
ただし、小野寺オーナーはメイセイオペラのデビュー戦をビデオで観賞し、愛馬の初陣を喜んでいたのだそうです。
「直にメイセイオペラの走りを見たい」という願いも虚しく、小野寺オーナーはメイセイオペラがデビューしてから1ヶ月後に帰らぬ人となりました。
するとメイセイオペラは、まるでオーナーの喪に服すかのように凡走を繰り返しました。
2戦目から5戦目まで4連敗、道中力んで折り合いを欠いては直線で失速の繰り返しでした。
この時のメイセイオペラはまだレースというものを理解できていなかったのです。
壁にぶつかったメイセイオペラにさらなる問題が起こりました。
小野寺オーナーの死去で馬主が変わる可能性が出てきたのです。
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
Masaさん>コメありがとうございます(^_^)
まあ、馬がまだ子供だったということですよ(^_^;)
メイセイオペラは度重なるアクシデントを乗り越えてGI馬になりました。
あと、周りの人たちにも恵まれたんですよ(^_^) -
Masaさん
最初から全力疾走しちゃう仔だったんですねぇ
人間の子供も我慢しなさいと言った事を
余計にやりたがるから一緒ですね
オーナーはデビューして1ヵ月後に・・・
大変でしたね -
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>コメありがとうございます(^_^)
まあ、オペラと名のつく馬で真っ先に出てくるのはテイエムオペラオーでしょうから....(^_^;) -
タヌキち〜んさん
あっ、名前間違えてました。
メイセイオペラごめんなさい(T . T)
ここから、どう成長していくのか楽しみです。 -
とうけいにせいさん
ブン♪ブンさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
ファイト!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
まあ、馬はただガムシャラに走っていただけなんですが、オーナーの死去と凡走の繰り返しには何か運命的なものを感じてしまいますね。 -
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
メイセイオペラの最初のアクシデントです(--;) -
ハープ星さん
順調なデビューを果たし。。さぁ、これから!という矢先の不幸と
凡走の繰り返し・・・
メイセイオペラは、どこかでオーナーの死を感じとり
悲しみの中走っていたのかな?なんて勝手に思ってしまいました(^^;
そして今後はどうなるのか。
不安定な状態のメイセイオペラですね。。(・・,) -
ブン♪ブンさんがファイト!と言っています。
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ハープ星さんがいいね!と言っています。