2908件のひとこと日記があります。
2016/05/01 20:53
ライスシャワーの話(第13話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ライスシャワーの話」の第13話を書かせていただきます。
1993年シーズン、目黒記念から始動したライスシャワーの最大目標は春の天皇賞です。
1993年2月21日、ライスシャワーは目黒記念(東京芝2500m)で戦線に復帰しました。
レースでは59キロを背負い、なおかつ勝負所で自ら動くという積極果敢な競馬をしたライスシャワーを前年の菊花賞3着馬で斤量が1キロ軽いマチカネタンホイザが捉えて突き放して2馬身半差をつける快勝、前走ダイヤモンドSに続く重賞2連勝を飾りました。
レースでは完敗したものの、菊花賞以来の休み明けでなおかつトップハンデということを考慮すれば、その内容は決して悲観するものではありませんでした。
それに、菊花賞馬は普通この時期はまだ休養中か帰厩して乗り込みを始める時期、この時期にレースに使うことはめったにないことでした。
異例ともいえる早い使い出しには、陣営の天皇賞に懸ける並々ならぬ想いがありました。
飯塚好次調教師は「これまで以上にライスシャワーを鍛えなければ天皇賞を勝つことはできない」と考えていました。
重い斤量を背負わされることを承知のうえで目黒記念に使ったのは、敢えて不利な条件のもとで戦わせるためです。
つまり、目黒記念出走はライスシャワーをさらに鍛練するための手段のひとつだったのです。
的場均騎手も「天皇賞制覇のために、さらなる鍛練をライスシャワーに課さなければならない」と考えていました。
強敵ミホノブルボンを下して菊花賞を制覇したものの、菊花賞はミホノブルボンがキョウエイボーガンとの先頭争いで疲弊し、レースの主導権を握れなかったことがライスシャワーに勝ちを呼び込んだこともまた事実でした。
ライスシャワーが菊花賞を勝てたのはミホノブルボンが自滅したからでもあるのです。
彼が天皇賞で挑む大敵は自滅を期待できるほど甘い相手ではありません。
春天3連覇を目指す現役最強馬、メジロマックイーンが相手なのです。
ライスシャワーがメジロマックイーンに勝つ方法はひとつしかありません。
「力でねじ伏せる」しかないのです。
そのためには極限まで馬を鍛え上げる必要がありました。
飯塚師と的場騎手は鬼になりました。
ライスシャワーを容赦なく鍛えました。
真っ赤に焼けた鉄をひたすら叩き続ける鍛冶職人のように...
それからのライスシャワーは、まるで鉄が刀に生まれ変わるがごとく鍛えられ、研ぎ澄まされていきました。
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
-
とうけいにせいさん
「お馬さん」さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>いいね!ありがとうございます(^_^)
-
お馬さんさんがいいね!と言っています。
-
ハープ星さんがいいね!と言っています。
-
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
タヌキち〜んさんがいいね!と言っています。
-
とうけいにせいさん
Masaさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
今は牧場で鍛える時代ですからね(*_*)
厩舎はただの調整場所でしかなくなってしまいました。
時代の移り変わりを感じてしまいますね( ´_ゝ`) -
とうけいにせいさん
飛虎さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
まあ、このくらい煽っておかないと(笑) -
Masaさんがいいね!と言っています。
-
Masaさん
おぉ さすがにまだこの頃は外厩調整とかない時代でしたので陣営の物凄い意気込みが伝わってきますね
メジロマックイーン今に見てろ!