2908件のひとこと日記があります。
2016/05/02 22:31
メイセイオペラの話(第4話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「メイセイオペラの話」の第4話を書かせていただきます。
デビュー戦を快勝したものの、気性の若さから勝ちきれないレースを繰り返していたメイセイオペラに「小野寺オーナー死去」という苦難が襲いかかりました。
☆オーナーである小野寺良正氏の死去でメイセイオペラにはトレードの話が持ち上がりました。
遺族の方々には馬主を続ける意思がなかったからです。
メイセイオペラだけではなく、高橋啓牧場に預託され、繁殖生活を送っている母テラミスにも牧場で引き取ってもらう話が進んでいたそうです。
しかし、メイセイオペラ親子のトレード話は立ち消えになりました。
良正氏の妻である明子さんが翻意して、馬主活動を継続することになったのです。
若い頃は俳優志望だった良正氏は顔をケガしたことで夢をあきらめ、帰郷してからは仕事一筋に生きてきたそうです。
道楽というものに無縁であったはずの良正氏が明子さんに内緒で始めた道楽、それが馬主でした。
馬主であることは直に明子さんの知ることとなりましたが、良正氏は「他の遊びには絶対手を出さないから、馬主だけは続けさせてくれ」と明子さんに頭を下げて、馬主を続けることを許してもらったそうです。
明子さんは良正氏が遺したメイセイオペラ親子ほかの所有馬たちを「夫が残した遺産」だと思うようになり、手放すことができなかったそうです。
こうしてメイセイオペラは小野寺明子オーナー(名義は明正商事)の所有馬として引き続き岩手で走ることとなりました。
するとメイセイオペラはまるで明子さんの決断を意気に感じたのかのように勝ち出しました。
1996年11月11日、盛岡競馬場で行われた3歳B級戦(岩手ではオープン、A、B、C級というクラス分けをしています)で2勝目をあげたメイセイオペラは12月9日のA級戦も勝って連勝をおさめ、12月29日に水沢競馬場で行われた白菊賞(水沢ダート1600m)に駒を進めました。
ここを勝てば岩手の3歳世代のトップクラスに肩を並べることができるメイセイオペラの背には、このレースから引退までコンビを組むことになるジョッキーの姿がありました。
ジョッキーの名は菅原勲、1990年代から岩手の第一人者として君臨し、後年「記録と記憶という言葉は彼のためにある」とまでいわれた名手がメイセイオペラの主戦騎手に迎えられたのです。
名手菅原勲の手綱で白菊賞を圧勝したメイセイオペラは一躍、世代のトップクラスに躍りでたのです。
※今回はここまでとさせていただきます。なお、馬齡は旧表記とさせていただきましたm(__)m
-
とうけいにせいさん
Masaさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
1枚目は放牧中の写真ですね。
種牡馬入りしたころの写真でして、体つきは農耕馬みたいなんですよ(苦笑)
私には朴訥ながら芯がしっかり入った顔にみえますよ(^o^) -
Masaさんがいいね!と言っています。
-
Masaさん
おはようございます
所有馬たちを受け継いだ明子さんも立派な決断されましたね
1枚の写真見た時 目にかかるちょっと長めの前髪がジャニーズ系の顔してるなぁと思ってしまいました -
とうけいにせいさん
タヌキちーんさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
ちょっと違うんですよね(^_^;)
当時の岩手では、強い馬はほとんどイサオのお手馬だったんですよ。
特に他地区に遠征するくらいの馬は全てイサオが乗ってました。
だから途中からイサオが乗るということは、強い馬だと認められたということなんですよ(^o^) -
とうけいにせいさん
msz-006さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
タヌキち〜んさん
菅原勲騎手との出会いがメイセイオペラの今後の競走馬生活を大きく変えたのですね(≧∇≦)
-
タヌキち〜んさんがいいね!と言っています。
-
msz-006さんがいいね!と言っています。
-
ハープ星さんがいいね!と言っています。