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2016/07/21 21:50
ウオッカの話(第11話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ウオッカの話」の第11話を書かせていただきます
2008年、4歳になったウオッカはダービー馬として海外に打って出ることとなりました
☆古馬となったウオッカの最初の目標はドバイミーティング(3月29日 ナドアシルバ)への挑戦と決まりました。
陣営はドバイワールドカップ(ダート2000m)、シーマクラシック(芝2400m)、デューティフリー(芝1777m 現ドバイターフ)の主要3レースすべてに登録、第1希望はデューティフリーでした。
無事に選出(ドバイミーティングは招待レースです)されましたが、選出されたのはなぜかシーマクラシック、角居勝彦調教師は「海外のレースはある程度前で競馬をしないと勝負にならない。2400ではスタミナに不安が残る」と判断してデューティフリーへの変更を申請、認められてデューティフリー出走の運びとなりました。
ステップレースとして京都記念(2月23日 京都芝外回り2200m)に出走したウオッカでしたが、渋馬場で前が止まらない展開に泣いて6着に敗退してしまいました。
ただし、メンバー中唯一33秒台の上がりを記録するなど、休み明けで牡馬相手ということを考慮すれば悲観するような内容ではありませんでした。
ドバイミーティングには終生のライバルであるダイワスカーレットもドバイワールドカップに選出されており、ステップとしてフェブラリーSに出走する予定でしたが、残念ながら調教中に右目に外傷を負ったために回避となってしまいました、
ドバイ遠征を前にして陣営はさらに動き、鞍上強化に乗り出しました。
四位洋文騎手に代えて武豊騎手を鞍上に迎えることにしたのです。
ユタカ騎手は既にヴァーミリアンでドバイワールドカップに参戦することが決定していました。
海外経験豊富なユタカ騎手を新パートナーに迎えたウオッカは、3月15日にドバイへ旅立ちました。
ナドアシルバ競馬場での調教も上手くいき、調子を上げて望んだレースでは4番手から直線で先頭にたちましたが、ハナを切ったジェイペグ(南アフリカ)の二の脚の前に屈し、4着という結果に終わりました。
敗れはしたものの、前目で進んでも掛かることなく落ち着いてレースを進めることができたことが収穫となり、ウオッカの海外初遠征は結果こそ出なかったものの、失敗ではありませんでした。
帰国したウオッカの復帰初戦はヴィクトリアマイル(5月18日 東京芝1600m)、大阪杯を楽勝したダイワスカーレットも出走を予定しており、宿敵との5度目の対決に注目が集まりました。
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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とうけいにせいさん
ブン♪ブンさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
デュースさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
これからですよ(^○^) -
とうけいにせいさん
関東帝王さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
ウオッカのピークは4歳秋から5歳春、これからですよ(^○^) -
とうけいにせいさん
ハープ星さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
とうけいにせいさん
msz-006さん>こんにちは(*・∀・*)ノ
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とうけいにせいさん
しろくまさん>こんにちは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
ヒシアマゾン、エアグルーヴから始まった「牝馬の時代」を確固たるものにしたのがウオッカですよ(^-^) -
ブン♪ブンさんがいいね!と言っています。
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デュースさん
ウオッカはこれからかな?
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デュースさんがいいね!と言っています。
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ウォッカの成長のピークっていつだったんだろう?
ここからもっともっと強くなるウォッカ。わくわくしますね。