2908件のひとこと日記があります。
2017/01/08 18:48
ナリタブライアンの話(完結編)
こんばんは(*・∀・*)ノ
個人的な事情で中断したこともあったものの、およそ4ヶ月間にわたって書き続けてきた「ナリタブライアンの話」は今回をもって完結とさせていただきますm(__)m
☆1997年、生まれ故郷である北海道・新冠にあるCBスタッドで種牡馬入りしたナリタブライアン、内国産馬としては史上最高額である20億7000万円(一株3450万円×60口)でシンジケートが組まれました
種付け初年度にはアラホウトク(1989年桜花賞)、ファイトガリバー(1996年桜花賞)といったクラシックホースやアグサン(ブエナビスタの祖母でビワハイジの母)、モミジダンサー(マーベラスサンデーの母)といった実績のある繁殖牝馬、後にダイワメジャー、ダイワスカーレット兄妹の母となり、スカーレットインク牝系の隆盛を築いた良血馬スカーレットブーケなどが交配相手に選ばれるなど日高地区の馬産家たちから大いに期待され、初年度は81頭、2年目は106頭の繁殖牝馬を集めました
概ね順調な種牡馬生活を送っていたナリタブライアンでしたが1998年6月17日、突然の病魔が彼を襲いました
疝痛を起こしたナリタブライアンは三石家畜診療センターでの診察の結果、腸閉塞を起こしていることが判明しました
すぐに開腹手術が行われ、一旦は快方に向かったナリタブライアンでしたが、それから3ヶ月ほど経った9月26日、再び疝痛を起こしてしまいました
すぐに三石家畜診療センターで開腹手術を受けたものの、腸捻転と胃破裂を起こしており、手術を行った獣医師が「どうにもならない...」と治療を断念するほど症状は悪化していました
(馬の腸は全長1キロに及ぶほど長く幾重にも重なっています。草食動物にとって腸は最も重要な消化器官です。だから腸捻転は命に関わるほど重大な疾病なのです)
激痛に苦しむナリタブライアン
でも、助ける術はありません
できることは1つだけでした
1本の注射が用意されました
彼の命の火を消さなければ、ナリタブライアンは苦しみながら死を迎えなければならないのです
安楽死させてあげるしか、人間たちにできることはなかったのです
1998年9月27日、ナリタブライアンは天国へと旅立っていきました
享年7歳、人間ならまだ30歳そこそこの早すぎる旅立ちでした
ナリタブライアンの亡骸はCBスタッド内に埋葬され、10月2日には追悼式か行われました
当日は500人ものファンや関係者が参列し、シャドーロールの怪物の早すぎる死を悼んでいました
彼の死から1年後の1999年9月には栗東トレセン内に馬像が建立され、彼の2回目の命日にあたる2000年9月27日には新冠町内に「ナリタブライアン記念館」がオープンしました
※完結編はここまでとさせていただきます
なお、少しお時間をいただいた後に「あとがき」を書かせていただくことといたしますm(__)m
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タヌキち〜んさん
ナリタブライアンの話も楽しみに読ませて頂きました。ありがとうございましたm(__)m
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タヌキち〜んさんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
下町ビスケットさん>コメありがとうございます(^_^)
早田牧場がつぶれたのはハッキリ言って放漫経営ですよ(-_-)
ていうか、本気で社台と張り合おうとしたんでしょうかね....
ナリタブライアンって、サンデーにもミスプロにもノーザンダンサーも配合できるんですよ
後継種牡馬に恵まれなかったのは繁殖牝馬の質ということもあるんでしょうね
ナリタブライアンとヒシアマゾンの仔、見てみたかったなぁ( ´_ゝ`) -
下町ビスケットさんがファイト!と言っています。
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下町ビスケットさんがいいね!と言っています。
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下町ビスケットさん
ナリブー産駒は
ウイングアローの弟、
ウイングブライアンが
思い出します。母父がミスターシービー、歴代3冠配合。
ナリブー、配合相手に恵まれたなら、
後継種牡馬いたのかな。
ヒシアマゾンと、つけて欲しかった。
お墓素晴らしい。
ゆっくりして下さいですね。
早田牧場色々ありました。
怒りも感じました。 -
とうけいにせいさん
いいね!&コメをくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
リコメは「あとがき」のコメント欄にさせていただきます -
デュースさん
ナリタブライアン 忘れることはないでしょう
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yokoさんがいいね!と言っています。
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ハープ星さんがいいね!と言っています。