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2017/03/13 20:36
ホクトベガの話(第20話)
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ホクトベガの話」の第20話を書かせていただきます
ドバイワールドカップを引退レースとすることが決定したホクトベガ、ドバイへのステップレースとして、そして国内ラストランとして川崎記念に出走しました
☆1997年2月5日、冬晴れの川崎競馬場で第46回川崎記念(ダート2000m)が行われました
この時期の川崎競馬場ではスタンド改修工事が行われており、キャパシティは3万人程度だったんですが、当日は平日ながら5万9000人もの人たちホクトベガの壮行レースを見るために駆けつけました
ホクトベガは単勝1.3倍、圧倒的1番人気に推されました
対戦相手はキョウトシチー、コンサートボーイ、アマゾンオペラなど交流重賞の常連たちでしたが、その中に違う顔がまじっていました
前年の皐月賞馬イシノサンデーです
イシノサンデーは皐月賞のあとダービーを含む芝レースで3連敗し、矛先をダートに向けました
秋の3歳ダート日本一決定戦であるダービーGP(1996年11月23日 盛岡ダート2000m)を制し、目標をドバイワールドカップに定めたイシノサンデー陣営は年明けの京都金杯(1着)をステップに川崎記念に臨みました
イシノサンデー陣営の目標はただひとつ
「ホクトベガを負かすこと」でした
ドバイワールドカップは招待レースですから実績を挙げた馬しか参戦できません
しかもホスト国UAEを除いたアジア地区、つまり日本と香港には2頭しか出走枠がありませんでした
当然、出走枠は日本と香港で分けあうこととなります
すなわち、日本からドバイワールドカップに招待される馬は1頭だけなのです
要するに、ダート実績で劣るイシノサンデーは直接対決でホクトベガを負かさない限り招待されることはありえないのです
単勝3.3倍の2番人気に推されたイシノサンデー、ホクトベガを脅かす可能性があるのはこの馬だけでした
しかしレースはあっけなく決まりました
レース中に飛んできた小石のせいで目に外傷を負ったイシノサンデーは途中でレースを投げ出してしまい、6着に惨敗したのに対してホクトベガは終始楽な手応えでレースを進め、2着キョウトシチーに3馬身差をつける圧勝、交流重賞10連勝で国内ラストランを終えました
川崎記念の1週間後にドバイから招待状が届き、ホクトベガにとって集大成のレースとなるはずであるドバイワールドカップ出走が正式に決定しました
※今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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下町ビスケットさん
イシノサンデー、脇役イメージ強いけど、本当に良い馬です。
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下町ビスケットさんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
デュースさん>コメありがとうございます(^_^)
ドバイなんですよね...
気が重いから、これ以上書くのやめましょうかね...( ´_ゝ`) -
とうけいにせいさん
タヌキち〜んさん>いいね!ありがとうございます(^_^)
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とうけいにせいさん
にこちんさん>いいね!ありがとうございます(^_^)
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とうけいにせいさん
yokoさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
いいね!ありがとうございます(^_^) -
デュースさん
いよいよドバイ…
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