2908件のひとこと日記があります。
2013/03/30 21:05
名優の話(メジロマックイーン)
明日は大阪杯なので、93年の勝ち馬である「史上初の10億円ホース」メジロマックイーンについて書く。
90年の菊花賞を勝った時に、実況を担当していた杉本清氏の「メジロでもマックイーンの方だ!」のフレーズを覚えていらっしゃる方も多いであろう。この時の1番人気はメジロライアン(3着)、このレース以降、G1では抜群の安定感を見せたマックイーンよりも惜敗続きのライアンの方にファンの声援が集まるようになった。日本人の得意技である「判官贔屓」というやつである。
メジロマックイーンを語る上で避けては通れないレースが2つある。
1つは91年の天皇賞(秋)、2着プレクラスニーに6馬身差をつけて1着に入線したが、第2コーナーでの進路妨害を取られて18着に降着になったレースである。
このレースについては後になってからいろいろな人が言及してきたが、私個人の考えを言わせてもらうと、レース後に的場均がコメントした「あのレースはユタカのチョンボ」という見解と同じである。
もう1つは同年の有馬記念、天皇賞での恥辱を灌ぐべく確勝を期してレースに臨んだメジロマックイーン&武豊が、「あっと驚くダイユウサク 」&熊沢重文の大駆けに屈したレースである。
このレースの隠れた演出家は、超ハイペースで逃げて見事に玉砕したツインターボである。
ツインターボがハイペースで逃げたからこそ、レースは上がり勝負の展開になり、ダイユウサクがメジロマックイーンに唯一勝っていた瞬発力を生かせる条件が整ったのである。
G1を4勝し、安定感抜群のレース振りが印象的だったメジロマックイーンではあるが、91年の秋だけは踏んだり蹴ったりであった。
93年の京都大賞典を勝った後、脚部不安が発生したメジロマックイーンは、そのまま現役引退、種牡馬入りすることになった。
引退が決まった後、マックイーンは急に老け込んだそうである。
「周りの人たちの対応を見て、自分の競争生活は終ったんだと理解したのでしょう」
武豊はこのようにコメントしている。
-
ばいありーたあくさん
やまさとさん>こんばんは(^-^)コメありがとうございます。
私にとっても厄介な馬でした(*_*)
どこからでも競馬ができたし、「並んだら抜かせない」勝負根性もありましたね。 -
やまさとさん
やまさとです、こんにちわ!
引退時のマックイーン談存じませんでした。
穴党のやまさとにとっては目の上のたんこぶ的存在でしたが、それでも好きな馬の1頭でした。
マックイーンを破った黒い刺客ライスシャワーはもっと好きですが・・・(^^) -
ばいありーたあくさん
msz-006さん>おはようございます(^-^)コメありがとうございます。
ジェンティル、惜しかったですね....
海外G1は簡単に勝てるものじゃない、てことなんでしょう(-_-)
他の馬は...はっきり言って力負けですね(-_-;)
マックイーンはステイヤーでありながらスピードがありましたね。
しかも武豊が「非常に乗りやすかった」と言っていたように、気性も素直だったので、長距離戦では強かったです(^-^) -
msz-006さん
追伸
今、ドバイのレース観てますが、日本馬にとってキビシい現実を突き付けられてますね…(--#) -
msz-006さんがいいね!と言っています。
-
msz-006さん
今振り返ると、こんな渋い血統の馬がよく素晴らしい成績を残せたのか不思議ですね(^^;)
でも、当時は走って当然の馬でした。ユタカさんとマックイーンのコンビは息もピッタリで、最高のコンビの一組といっても過言ではないように思っています(ノ^^)ノ
残念なのは、代々続いていた天皇賞制覇が途切れてしまったことでしょうか…