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2013/07/17 20:57
猫も杓子も凱旋門賞(その4)
長編ネタ「猫も杓子も凱旋門賞」の第4弾、今回は1999年、エルコンドルパサーが日本馬として初めて2着に食い込んだ時の事を書く。
エルコンドルパサーが他の日本馬と決定的に違うのは、それまでの日本馬がいわゆる「ぶっつけ」で本番に臨んだのに対して、春シーズンからフランスに長期滞在して本番に臨んだことである。
JRAではかつて海外G1に出走する馬(正確に言うと馬主)に助成金を支給していたが、これには「滞在期間は帰国検疫を含めて2ヶ月以内」という規定があった。(現在もその規定があるかどうかは、申し訳ないが不勉強でわからない(-_-;)悪しからず)
ディープインパクトがぶっつけで凱旋門賞に臨んだのは、こういう事情もあったのである。
エルコンドルパサーの馬主である渡邊隆氏は、助成金などには目もくれずに「凱旋門賞を勝つ」ために長期滞在を選択したのである。陣営が長期滞在を決めたのはイスパーン賞(2着)でのエルコンドルパサー(以下パサー)の走りを見てからだそうだが、この時のパサーは、明らかに欧州の芝に戸惑っていたそうだ。
そこで陣営は、欧州の芝に慣れさせるのを第1の目的に、フランスに残ることを決めたのである。
日本の芝と欧州の芝を比較する時によく使われる例えに「ストライド走法とピッチ走法」がある。
下が固くて軽い日本の芝にはストライド走法、下が緩くて重い欧州の芝にはピッチ走法が適している、というわけである。(もちろん、個体差はあるが)
パサーが凱旋門賞を勝つためには、欧州の芝に合った走法を身につける必要があったのだ。
パサーは「万能型」の馬である。比較的短期間で「欧州向き」の走法を身につけた。
そして、前哨戦であるフォア賞が終わった頃にはパサーは有力馬の1頭に数えられるほどになったのである。
ご存知の通り、結果は残念なものとなったが、日本馬が凱旋門賞でも欧州馬と互角以上に戦えることを証明した、という点では計り知れないほどの成果を挙げたことは断言できると思う。
非常に有意義で悔いの残る挑戦であった。
次回からは「凱旋門賞に挑戦することで起きてしまう様々な弊害」について書いていこうと思う。
今日はここまで(^-^)
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ロシアンブルーさんがいいね!と言っています。
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ばいありーたあくさん
アナスキーさん>こんばんは(^-^)コメありがとございます。
フランスを初めとする欧州の芝は重いうえに脚に絡みつくような芝ですから、どうしても日本の芝のようには走れないんです。おまけに下が緩いから踏ん張らないといけないし…
パサーは芝もダートも重馬場もこなせる馬でしたからうまく適応できましたが、やはリぶっつけでは厳しかったでしょうね。
オルフェは向こうの馬場に適応できることは証明済ですが、キズナがちょっと心配ですね(-_-)
できることならデインドリームが勝った時くらいパンパンの良馬場でやってほしいですね(*_*) -
アナスキーさん
へーーーーそうなんですね!
最初はパサーも戸惑っていたんすね!
勉強になりました(^^)
パサーが最初に開きかけた凱旋門挑戦の扉・・・
ディープが開きかけ・・・
フェスタが開きかけ・・・
オルフェが開きかけ・・・
そろそろ凱旋門の重い扉を全開にしてもらいたいっすね! -
msz-006さんがいいね!と言っています。