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2013/08/16 20:47
オグリキャップの話(その3・1988年)
昨日に引き続き、「オグリキャップの話」を書く。今回はその3回目、1988年(オグリ4歳時)のオグリキャップのことを中心に書いていくことにする。なお、年齢表記は旧表記とする。
前年に笠松でデビューし、3歳重賞を総なめにしたオグリキャップは、年が明けてから粟東・瀬戸口勉厩舎に移籍し、中央競馬で走ることとなった。
中央初戦であるペガサスS(現・アーリントンC)に出走したオグリキャップは、このレースを皮切りに重賞を6連勝し、競馬ファンはこの馬をいつしか「芦毛の怪物」と呼ぶようになった。
重賞6連勝の内訳は、ペガサスS→京都4歳特別→毎日杯→NZT→高松宮杯→毎日王冠の順である。
当時の4歳といえば、クラシックレースに出走できる年齢ではあるが、オグリキャップはクラシック登録がなかったために、皐月賞やダービーには出走できなかったのだ。オグリキャップは幻の三冠馬である、と評する人が今だにたくさんいるのは、このことが原因である。
クラシックレースに出走できなかったオグリキャップの陣営は、88年の秋シーズンの第一目標を天皇賞(秋)に定め、前哨戦の毎日王冠を快勝し、1番人気で天皇賞(秋)に出走した。
しかし、オグリキャップは同じ芦毛であるG1馬、タマモクロスに完敗する。
雪辱に燃える陣営は、次走にタマモクロスと同じジャパンカップを選んだが、ここでもタマモクロスに先着を許してしまった。
「打倒タマモクロス」を期して鞍上に名手岡部幸雄を迎えて臨んだ有馬記念では、岡部騎手の絶妙な手綱捌きに導かれたオグリキャップがタマモクロスに雪辱を果たすとともに、G1初制覇を成し遂げた。
オグリキャップはこの年のJRA賞で最優秀4歳牡馬に選ばれた。
オグリキャップの話は次回に続くこととさせて頂くが、最後に、1988年におこった出来事をいくつか書き記して、今日の日記を終わりとする。
1)旧ソビエト連邦でゴルバチョフ書記長のもと、ペレストロイカが始まる
2)東京ドームがオープン
3)「ワンレン・ボディコン」が大流行
4) リクルート事件発覚
5)日産「シーマ」発売、爆発的な売り上げを記録
6)プロ野球セ・リーグ優勝 中日ドラゴンズ
パ・リーグ優勝 西武ライオンズ
日本シリーズ優勝 西武ライオンズ
高校野球 選抜優勝 宇和島東高校 夏の選手権優勝 広島商業高校