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2013/09/14 19:29
追い込み馬の話13(メジロライアン)
久々に追い込み馬の話を書く。
今回は91年の宝塚記念の覇者で、メジロパーマー、メジロマックイーンと共に「メジロ花の87年組」ともてはやされた「末完の大器」メジロライアンである。
メジロライアンと聞いて真っ先に思い浮かべるのは「重馬場の鬼」と「主戦横山典弘」であろう。
事実、初重賞勝ちした弥生賞(90年)も重馬場であり、唯一のG1勝ちである宝塚記念(91年)も前日までの雨の影響が残った馬場状態であった。(よく覚えていないが、たしか稍重と発表されていたはずである)
しかしなから、大久保正陽師をはじめとする厩舎スタッフは「重はうまくなかった」と語っている。重馬場への適性というより、メジロライアンの能カの高さで勝ったのだ、と言いたいのであろう。(個人的な意見を言わせてもらうと、重馬場への適性があったとは言い難い。その証拠に、産駒のメジロドーベルやメジロブライトなども重馬場は決してうまくはなかった)
そしてもう一つ、主戦騎手であった横山典弘は当時デビュー4年目のバリバリの若手であり、おまけに素行が悪いことで有名な「兄ちゃん」であった。ノリは当時から酒豪であり、彼が起こしたトラブルはほとんどが酒がらみのものである。
ノリの若さゆえの未熟な騎乗は、メジロライアンに「不要な」敗戦を何度も味あわせた。特に90年のダービーと有馬記念は、はっきり言って「ノリの騎乗ミス」で負けたレースである。どちらも勝負どころでのノリの判断ミスが致命傷になった。オーナーや周りの人たちの理解もあってノリはメジロライアンに乗り続けることができたが、今ならばダービーで負けた時点で乗り替わりである(-_-)
メジロライアンが「未完の大器」で終わってしまったのは、はっきり言って8割方ノリのせいである(>_<)ノリ自身も、メジロライアンの引退式の時に「この馬には何も返せなかった」と自らの不甲斐なさに涙している。
しかし、あれから20数年が経ち、横山典弘はダービージョッキーとなり、関東の第一人者として今も活躍している。メジロライアンという馬に乗ったこと、何度も惜しい敗戦を繰り返してその度に悔しい思いをしてきたことが、後に彼がトップジョッキーとしての地位を確立するうえでの大きな一助になったのは間違いないだろう。
メジロライアンはトップになれなかった。
これは事実である。
しかし、メジロライアンは横山典弘をトップジョッキーに押し上げる礎となった。
これも事実である。