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2013/09/15 20:14

猫も杓子も凱旋門賞(その5)

長編ネタ「猫も杓子も凱旋門賞」を久しぶりに書く。オルフェーヴルが出走するフォア賞、キズナが出走するニエユ賞の発走が間近に迫っているが、それまでこのネタを書きながら待つことにする。

今回は1969年に日本馬として初めて凱旋門賞に出走したスピードシンボリのことを書いていきたい。

まず初めにスピードシンボリという馬について簡単に紹介しておく。

戦績 43戦17勝
主な勝ち鞍 天皇賞(春)〔67年〕、有馬記念〔69.70年〕
67年、70年 年度代表馬
90年 頸彰馬選出
シンボリルドルフの母の父でもある)

スピードシンボリは69年に和田オーナーの強い意向で欧州に遠征し、イギリス、フランスで3戦している。緒戦のキングジョージは5着と健闘したが、フランスに移動しての第2戦のドーヴィル大賞典は61キロのハンデを課されたこともあって11着と大敗した。ちなみに勝ち馬(旧4歳馬)のハンデは52キロである。

そして迎えた凱旋門賞当日、スピードシンボリは前の2戦とは打って替わって後方からレースを進めたものの、最後まで馬群の中から出られないまま着外(当時のフランスでは11着以下の着順をつけなかった)に終わった。

私はこの日記を書くにあたって、69年にJRA広報室が制作した記録映画「スピードシンボリ号 欧州へ」をYouTubeで視聴したのだが、凱旋門賞でのスピードシンボリは、はっきり言ってどこを走っているのか全然わからなかった(-_-)
ゴール前の映像から20着前後で入線したことが辛うじてわかる程度のものであった。

残念ながら、日本馬、日本のホースマンにとって初めての凱旋門賞は「ただ回ってきた」だけで終わってしまった。

当時は日本馬が海外遠征することは珍しかったうえに、当時のフランスでは第2次世界大戦で敵国であった日本に対する嫌悪感がまだまだ根強く残っていた時代である。スピードシンボリと陣営は地元の馬以外の敵とも戦わなければならなかったのである。

様々な苦難の末にたどり着いたロンシャンのターフは、日本馬と日本のホースマンたちに更なる試練を与えたのである。

日本のホースマンたちの凱旋門賞への挑戦はここから始まった。

今回はここまで(^-^)
なんとか出走時間までに書き終えたぜ(笑)
さあ、グリーンチャンネルを視ようか。
オルフェもキズナも頑張れ!

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