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2013/09/30 21:57
BASEBALL LAST SAMURAl 〜前田智徳引退〜
今日はプロ野球のことを書く。
広島カープの背番号1、前田智徳外野手が引退を表明した。
20年以上に渡ってカープの主力選手として活躍し、常に「理想のバッティング」を追い求めてきた前田選手も、度重なる故障から現役晩年は満身創痍となり、特にここ数年はオフに引退を申し入れてはオーナーに慰留されて残留の繰り返しだったそうだ。
前田選手といえば、「理想のバッティング」を追い求めるあまり、周りからは奇行とも受けとめられるような言動が多々あったことでも有名である。
1994年、イチロー(当時オリックス)が初めてオールスター戦に出場した時に「セリーグの投手で対戦したいのは?」という質問に「投手より、前田さんのバッティングが見たい」と答えている。これはこれで的外れで(セリーグの投手に対して)失礼千万な答えなのだが、前田選手はイチローに対して「内野安打を打ってそんなに嬉しいのか?」と強烈な皮肉を言っている。
当時の前田選手は、一生懸命走れば内野安打になりそうな当りでも、打ち方に納得がいかないときは「ふてくされて」真面目に一塁へ走らない選手であった。(そのことを江川卓氏に非難されてからは、どんな当たりでも全力疾走するようになったが)
前田選手はあるインタビューで「打席に立つ理由は?」と聞かれて「理想のバッティングをするためかな?」と答えている。
ずっと後になって理想のバッティングについて質問された前田選手は「バッティングはいまだに分からん」と多少茶化した答えを返している。
前田選手は「理想のバッティングをするため」にプロ野球選手になったと言っても良いと思う。
良く言えば「バッティングの求道者」であった。
しかし、自分のバッティングに納得がいかないときは周りに当たり散らしたり、落ち込んで泣き出したり自暴自棄になったりと、かなり情緒不安定な一面もあった。
ただし、非常に責任感の強い選手であり、自らのエラーで先発投手の勝ち星を消してしまったときは、決勝ホームランを打ってもヒーローインタビューを受けることを拒否したこともあった。
1998年の最終戦にはこんなこともあった。
当時、前田選手は横浜ベイスターズの某選手と首位打者争いをしていた。最終戦でカープとベイスターズは直接対決したのだが、ベイスターズの監督は「最終戦は前田選手を全打席敬遠する」ことを示唆した。自チームの選手に首位打者のタイトルを取らせるためである。
前田選手はその試合に出場することを拒否した。
「ファンの皆さんに無様な姿を見せたくない」からである。「プロ野球選手なら最後まで全力でプレーしてタイトルを勝ち取るのが当り前」という前田選手の心の叫びが出場拒否という行動となったのだ。
前田選手は打撃タイトルには縁の無かった選手である。しかしそれは実力が足りないからではない。彼の志の高さが結果として打撃タイトルを遠ざけることになってしまったのだ。
前田選手は「侍」とも称される。
彼は自らの志でプロ野球選手になり、自らの理想を体現するために努力を重ね、自らを極限まで鍛え抜くことでファンやチームメイトの絶大なる信頼を勝ち得た。
彼こそが「ラストサムライ」である。