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2014/10/22 21:40
ターフに咲く花 〜名牝伝説〜 Vol.18
メイショウバトラー (鹿毛)
2000年4月19日生まれ(14歳)
父 メイショウホムラ
母 メイショウハゴロモ (母の父ダイナガリバー)
61戦14勝 (重賞10勝)
主な勝ち鞍
2004 小倉大賞典
2006 プロキオンS、サマーチャンピオン、シリウスS
2007 かきつばた記念、さきたま杯、スパーキングレディーC、クラスターC
2008 &2009 マリーンC
管理調教師 高橋成忠 (栗東)
主戦騎手 武豊
☆「ターフに咲く花」の第18回目は、屈腱炎を克服して10歳まで走り続けたメイショウバトラーを取り上げます。
「メイショウ」の冠号で知られる松本好雄オーナーの所有馬同士で配合され、生産されたメイショウバトラーは3歳時は一介の条件馬でしかありませんでしたが、明け4歳となってからメキメキとカをつけて小倉大賞典で重賞を初制覇、GI戦線へ向けての飛躍が大いに期待されましたが、その後は重賞で好走するも勝ち切れないまま4歳のシーズンを終えました。
雪辱を期待された翌年でしたが、右前脚の浅屈腱炎のため1年以上の休養を余儀なくされました。
復帰したのは翌年の欅ステークス、脚への負担を考えてダートでの出走となりました。
復帰戦は12着に終わったものの、次走プロキオンSで久々の勝利を挙げ、サマーチャンピオン、シリウスSとダート重賞を3連勝して完全復活を遂げました。
それ以降はダート重賞の常連となり、翌2007年もダート重賞を4勝、川崎競馬場で行なわれたJBCマイル(川崎はコース形態の関係でスプリント戦は行なわれません)ではブルーコンコルドの2着に食いこみました。
2008〜2009年にはマリーンCを連覇、特に2009年は9歳牝馬としては史上初めての交流重賞制覇の快挙を成し遂げ、南部杯では3着に入るなど、年齢を感じさせない活躍を見せました。
ちなみに南部杯の勝ち馬はメイショウバトラーが西海賞で負かしたクラリティシチーの仔、エスポワールシチーでした。
2010年に引退した後は生まれ故郷の三木田牧場で繁殖入りし、同じ松本好雄オーナーの所有馬であったメイショウボーラー、メイショウサムソンの仔を産んだ後、現在はエンパイアメーカーの仔を受胎しています。
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とうけいにせいさん
広瀬北斗さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
メイショウバトラーは牡馬とも互角以上に戦ったんですが、なぜか人気にはなりませんでしたね。
しかもキャリアの大半は武豊騎乗なのに(*_*)
いつかは「メイショウ配合」でGI馬が誕生するといいですね(^^) -
広瀬北斗さん
嫁もメイショウホムラを応援していた事もあり,交流重賞の際にはほぼ無条件で軸にしていました。しかも何故か戦績の割には人気にならず,この馬のおかげで数年間は地方の口座には入金しないですみました。
残念ながらG1は無理でしたが無事に繁殖牝馬となれましたから良かったです。
是非ともメイショウ××を配合した馬が,この後も繋いで貰いたいものです。 -
とうけいにせいさん
マックさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
オーナーが松本好雄氏だったというのは大きいですね。
松本オーナーは基本的に厩舎の意志を尊重する人ですから(*_*) -
マックさん
ダートだから高齢になっても走る事が出来たのでしょう。これが社台の馬なら屈腱炎の時点で引退でしょうね。
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とうけいにせいさん
ぼう0508さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
9歳で交流重賞を勝つんですから、馬がタフだったことは間違いないんですが、厩舎スタッフが丹精込めて仕上げてきた結果だと言えるでしょう。
重賞を勝った牝馬ですから普通ならエビになった時点で繁殖入りさせますよ。
あえて復活を目指して療養させたのは、陣営の誰もが馬の可能性を信じていたからだと思います。
人に恵まれた馬だったと言ってもいいと思います(^^) -
ぼう0508さん
こんばんは(^^)
当時はただ年齢のことが気になって「いつまで走らされるんだろう」なんて
思っていました。
ですが元気でいる限り走り続けることは、使い方さえ考えれば素晴らしいことだと思うようになりました。(馬にとってはどうかわかりませんが)
無事に生まれ故郷に帰ることが出来たのは何よりです。


