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2014/11/06 19:16
エルコンドルパサーの話 (その11)
(前回までのあらすじ)
※1998年、NHKマイCとジャパンカップを勝ってJRA最優秀4歳牡馬に選ばれたエルコンドルパサーと渡邊隆オーナー、二ノ宮敬宇調教師をはじめとする彼のチームは翌1999年、「凱旋門賞制覇」を目標にフランスへ遠征しました。
7月に行なわれたサンクルー大賞典で海外GI初制覇を飾ったエルコンドルパサーでしたが、レース中に負った外傷がもとでフレグモーネを発症してしまいました。
☆エルコンドルパサーのケガについて陣営はマスコミには「軽傷」と語っていましたが、実は歩様が乱れるほどの重症でした。
凱旋門賞が行なわれるのは10月、叩き良化型であるエルコンドルパサーは9月に前哨戦を戦ってから本番に臨むことが予定されていましたが、予定通りに前哨戦に臨むには、およそ2ヶ月の間にケガを治すことと調教で鍛えること、という二律背反を同時進行で行なわなければなりませんでした。
幸いにもエルコンドルパサーのケガは早期に回復しましたが、二ノ宮師は「並の馬だったら間に合わなかった。馬が自分で回復させた。本当に我々の想像を遥かに越える凄い馬です」と、エルコンドルパサーの生命カの強さに感服したコメントを残しています。
1999年9月12日、前哨戦であるフォワ賞がロンシャンの芝2400m.凱旋門賞と同じ条件で行われました。
実は二ノ宮師は当初、前哨戦にムーラン・ド・ロンシャン賞(ロンシャン芝1600m)を使うことを考えていたそうです。ちなみに1995年の凱旋門賞馬エリシオも前哨戦にこのレースを使われています。ただ、渡邊オーナーが反対したために、フォワ賞を使うことになりました。
レースは日本ではまずお目にかかれない3頭立てで行われました。
出走してきたのはクロコルージュとボルシア、両馬ともサンクルー大賞典で負かした馬です。
レースは押し出される形でエルコンドルパサーが先頭に立ったまま進み、最後の直線で内をついたボルジアに一度は交わされましたがすぐに差し返し、前哨戦を勝利で飾りました。
そして10月3日、エルコンドルパサーはいよいよ最大目標である凱旋門賞に臨むこととなりました。
今日はここまでとさせていただきます(^_^)
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とうけいにせいさん
広瀬北斗さん>こんにちは(^^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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広瀬北斗さんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
ハマーさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
たしかフォワ賞は斤量が60キロでしたから、斤量が若干軽くなるしバサーは本質的にはマイラーですからちょうど良いのではないかと考えたんでしょうね(*_*)
パサーは使う度にガラっと変わる馬でしたから、二ノ宮師も大きな可能性を感じていたんでしょうね(^_^) -
とうけいにせいさんがファイト!と言っています。
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ハマーさん
優れたアスリートはケガの回復が早いように、エルコンドルパサーもそうだったのでしょうね。
そんな万全とは言えない状態でもムーラン賞を使おうとするとは、二ノ宮師は本当にエルコンドルパサーの能力に惚れ込んでいたんですねー。 -
とうけいにせいさん
ぼう0508さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
頭も良かったけど、環境への適応力がずば抜けて高かった馬でしたね。
普通海外でケガなんかしたら簡単には立ち直れませんよ。
クロコルージュはたしか産駒が日本でも走ってましたよね。 -
ぼう0508さん
頭がよく無駄なことをしない。
きっとそんな馬だったのでしょうね。
クロコルージュとボルジア、懐かしいです。 -
ぼう0508さんがいいね!と言っています。
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とうけいにせいさん
飛虎さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
臨戦過程についてはこれで良いと思いますよ。
ロンシャンの2400mを経験させた方がプラスですからね(*_*)
ただし、フランスはパサーにとって、あくまでもアウェイです。
次回はその辺について書いていくつもりです。 -
飛虎(放牧中)さん
病気から、よく復活してくれました。
でも・・・この臨戦過程が本番に影響したのかな〜と
ちょっと不安(次回が楽しみです)
予想する時もそうなのですが、馬の病気ってよくわかりません(><)
どの程度、力が落ちるのか?
そもそも回復してるのか?さっぱりです。
もともと競馬当たりませんが、狙ってた馬が
病気明けだったりすると、大変です。


