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2014/12/06 23:19
nプロ会報臨時増刊号
全国8000万人のプロレスファンのみなさん、こんばんは(^^)
nプロ会報臨時増刊号をお送りします。
☆「ドン荒川伝説」
70年代から80年代にかけて、ドン荒川というレスラーが新日本プロレスの前座で活躍していました。
プロレス用語に「トンパチ」というのがありますが、これは「トンボにハチマキ」の略で「常識では計れないヤツ」という意味です。
何を隠そう、新日本プロレスに脈々と伝っていた「トンパチレスラー」の元祖がドン荒川なんですよ。
荒川さんのトンパチ伝説はアマレスの選手だった頃から始まります。
ある時、アマレスの試合に出た荒川さんは「一度アマレスの試合でやってみたかった」ドロップキックを2回やって反則負けを取られてしまいました。
ちなみに対戦相手は元専修大学レスリング部監督で現在は国会議員の松浪健四郎氏です。
新日本プロレス入門後は「前座のカ道山」の異名を持ち、同郷の栗栖正伸とのガチンコ「鹿児島選手権」や永源遥とのコミカルファイトで、ストロングスタイルを標榜する新日本プロレスの中で異彩を放ち続けました。
また、「市役所固め(スタンディング式ナガタロック」や「サラ金固め(チキンウイング・フェイス口ック)」など個性的な名前の技をいくつか開発していましたが、一番の得意技は「カンチョー」でした(*^^*)
また、非常に人付き合いが良く後輩の面倒見の良い人で、若手時代の橋本真也さんや武藤敬司選手は「荒川さんに人生を教えてもらった」と感謝の気持ちを語っています。
特に橋本さんとの親交は橋本さんが亡くなるまで続き、地元鹿児島の酒造会社に「破壊王」という名の焼酎を作らせたり、橋本さんがZERO-ONEを解散して再起を図った時にはスポンサーを集めるために奔走したりと、橋本さんを最後まで支援し続けました。
ある時、荒川さんはある新人レスラーを某風俗店に連れていきました。「男にするため」にです。
その新人の名は船木優治、現在の船木誠勝です。
大きな声では言えませんが、船木選手は当時15歳でした(((^^;)
お店に入ってから荒川さんは「どんな娘が好みなんだ?」と船木選手に尋ねたんですが、船木選手の答えは「年下がいいです」でした(-_-)
荒川さんは「バカヤロー!15歳より下のソープ嬢がいるわけねえだろ!」と一喝し、23歳の女の子をあてがったそうです( ̄▽ ̄;)
荒川さんはアントニオ猪木氏や坂口征二氏にも随分と目をかけられていました。
荒川さんが猪木氏に「今日は二日酔いなんです」と申告すると猪木氏は「じゃあ今日は帰っていいよ」と快く早退させてくれたそうです。
こんなことが許されるのは荒川さんだけです。
長州カや藤波辰巳が同じことを言ったら角材で思いきりブン殴られていたことでしょう(*_*)
試合では全然体カを使わないために、試合後は1時間ランニングをするのが日課だった荒川さんですが、シュートをやらせたら滅法強く、道場では若手選手たちを容赦なく鍛えあげていたそうです。


