2908件のひとこと日記があります。
2014/12/21 22:24
最強馬とは.... (第六夜)
日曜の夜に私自身にとっての最強馬を語る「最強馬とは...」の第6回目、今回は「最強のステイヤー」について語らせていただきます。
ステイヤーといえば真っ先に思い浮かべるのはこの2頭ですね(*_*)
ライスシャワー(写真上)
1992年菊花賞、1993、1995年天皇賞(春)
メジロマックイーン (写真下)
1990年菊花賞、1991~1992年天皇賞(春)
どちらも3000m以上の距離で行なわれたGIしか勝っていませんが、2000〜2400mでも強かったメジロマックイーンに対してライスシャワーは「2400でも短い」といわれた生粋のステイヤーで、現に2500m以上の距離でしか重賞を勝っていません。
GI勝ち鞍が全く同じである両馬ですが、ドラマ性という面でも甲乙つけがたいものがあります。
メジロマックイーンは祖父メジロアサマ、父メジロティターンとの「親子三代天皇賞制覇」を成し遂げた反面、1991年の天皇賞(秋)では史上初の「GIを1着で入線後に失格」という憂き目にあい(あのレースは100%武豊に責任があります)、同年の有馬記念では「あっと驚くダイユウサク」の一世一代の大駆けに屈しました。
ドラマ性ではライスシャワーも負けてはいません。
1992年菊花賞ではミホノブルボンの三冠を阻止し、翌年の天皇賞(春)ではメジロマックイーンの春天3連覇を阻止して「刺客」と渾名されました。
その当時のライスシャワーは明らかにヒールでした。
しかしそれからの長いスランプを経て1995年の春天で復活の勝利、しかし次走の宝塚記念(この年は阪神大震災の影響で京都競馬場で行なわれました)での悲劇....ライスシャワーはヒールから悲劇のヒーローという「誰も望まなかった転身」をしてしまいました。
この2頭のどちらかを選ぶのはハッキリ言って難しいんですが、私としては「生粋のステイヤー」という意味でライスシャワーを推したいと思います。
メジロマックイーンは母の父としてオルフェーヴル、ゴールドシップ等を送り出しましたが、ライスシャワーは産駒を残せませんでした。
ライスシャワーが産駒を残せてたら、メジロマックイーン同様、母の父としての存在感を存分に示してくれていたと思います。
ライスシャワーは小柄な馬でしたが、底カの塊のような馬でしたから...
かえすがえすも残念です(-_-)
-
広瀬北斗さん>こんにちは(^^)コメありがとうございます(^_^)
まあ、「馬なり...」は一応ギャグマンガですから(苦笑)
でも、あのくらいの方がいいんですよ、マンガは(*_*) -
広瀬北斗さん
とうけいにせいさんのリコメントにある「孤高なマラソンランナー」と言う表現,大変同意致します。
よしだみほさんの「馬なり…」では全く違うキャラで描かれたので,個人的には違和感が凄かったです。 -
広瀬北斗さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
あの時はまだまだ個性派がたくさんいました。
ライスシャワー然り、ツインターボ然り、ミホノブルボン然り...
競走馬に自分自身を重ねあわせることができた時代でした(*_*) -
ブンブンさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
あの時は診療所にも連れていけなくて、コ−ス上にテントのようなものを張って、その中で安楽死の処置が取られたんですよね(-_-;)
本当に見ていて辛いものがありました(T_T) -
ワイドボックスさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
まあ、ぶっちゃけるとディープインパクトもステイヤーですからねえ(苦笑)
時計勝負ならディープインパクト、ライスシャワー、マヤノトップガンが3強だと思いますよ(*_*)
底力勝負だとメジロマックイーン、サクラローレル、シンボリルドルフというところでしょうか(*^^*) -
タリーズコーヒーさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
私もライスシャワーは好きな馬でした。
小さな体で懸命に走る姿は、孤高のマラソンランナーのようでした。 -
みゆパパさん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
あらゆる意味で特別な馬でした。
3000m以上の距離がないと勝てなくて、ミホノブルボンとメジロマックイーンの邪魔をしたと心ないファンからの怒りを買って、あのような悲惨な最期を遂げたら「高速馬場の犠牲者だ」って悲劇のヒーローに祭り上げられて...
人間の身勝手に振り回され続けた馬でもあります(-_-) -
ブンブンさん
ライスシャワーが宝塚記念で命を落としたとき、私はちょうど競馬に接したばかりの頃だったので、あの時のライスシャワーの倒れた姿は、とてもショッキングだったのを覚えています(T_T)
-
広瀬北斗さん
ヒールやヒーローと言う位置付けが与えられる様な,まだ日本競馬に物語性が満ち溢れていた時代の名馬達ですね。
-
ぼう0508さん>こんばんは(^^)コメありがとうございます(^_^)
あの時の菊花賞はミホノブルボンの三冠を期待したファンが圧倒的に多くて、レース後はライスシャワーにブーイングを浴びせる者もいましたね。
小柄な馬でしたから1度激走すると馬体にすごくダメージが残って、その後ガタガタになってしまってました(-_-)
あと、種牡馬入りできずに現役を続けざるを得なかったのも悲劇でした。
万全の状態で出走したのは菊花賞と翌年の春天だけだったそうです。
命を削りながら走っていた馬でした(-_-)


