2908件のひとこと日記があります。
2014/12/29 22:40
サクラスターオーの話 (その2)
1984年5月2日、北海道・静内の名門牧場、藤原牧場で一頭の仔馬が誕生しました。
1987年の年度代表馬、サクラスターオーです。
父はダービー馬サクラショウリ、母サクラスマイルは天皇賞馬でサクラバクシンオーの父でもあるサクラユタカオーの半姉にあたります。
また、サクラスマイルの曾祖母は1960年に史上初めて有馬記念に勝った3歳牝馬として、また日本を代表する牝系の祖として競馬史に残る名牝スターロッチで、サクラスターオーはサクラユタカオー、皐月賞馬ハードバージ、後にはダービー馬ウイニングチケットを輩出した名門牧場ゆかりの血統に属する期待馬としてこの世に生を受けたわけです。
将来を嘱望されて生まれてきたサクラスターオーでしたが、生後2ヶ月でいきなり試練に直面します。
母サクラスマイルが腸捻転でこの世を去ってしまったのです。
母を亡くした仔馬が乳母の手で育てられることは競走馬の世界では珍しいことではありませんが、それは母馬が出産直後に死んでしまった時にかぎります。一度母馬に育てられた仔馬は母馬の匂いがついてしまうので、乳母が育てることを拒絶してしまうのです。
母を亡くし、育てる乳母もいないサクラスターオーを親代わりとなって育てたのは、藤原牧場の場長である藤原祥三氏でした。
藤原場長は四時間ごとにミルクを与え続け、サクラスターオーを懸命に育てました。
また、仔馬は十分な栄養と与えるのと同時に十分な運動をしていないといけないんですが、同期の仔馬がまだ乳離れしていないため、サクラスターオーはただ一頭で運動をしなければいけませんでした。
ここで藤原場長は一計を案じます。
サクラスターオーを一頭の老馬と共に放牧に出しました。その老馬とは、スターロッチです。
スターロッチはすでに28歳になっており、玄孫であるサクラスターオーと一緒に走ることはできませんでしたが、一頭で牧場を駆け回るサクラスターオーをずっと見守っていました。
藤原場長とスターロッチを親代わりにしてすくすくと成長したサクラスターオーは、同期の仔馬たちよりもぐんと大人びた若駒となっていました。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
-
飛虎さん>おはようございます(^_^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
-
飛虎さんがいいね!と言っています。
-
広瀬北斗さん
そうでしたか。確かに歴史ある牧場ですからね。有難うございました。
-
広瀬北斗さん>こんばんは(^-^)コメありがとうございます(^_^)
シンボリ牧場は千葉が本場ですね(*_*)
日高には分場とSSがありますが、本場の方でも生産はしていたようです。 -
広瀬北斗さん
すみませんが先の「分上」は「分場」の誤りです。
-
広瀬北斗さん
シンボリ牧場,岩手にも分上があったのですか。千葉の分場は知っていましたが。因みにnetkeibaにはサクラショウリの生産地がその千葉となっていますが,まだ北海道では開場していなかったのでしょうか?
-
タイシンさん>おはようございます(^_^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
-
広瀬北斗さん>おはようございます(^_^)コメありがとうございます(^_^)
サクラショウリは岩手にあるシンボリ牧場の分場で1歳時を過ごしてるんですよ。
ちなみに私がリアルタイムで見た初めてのダービー馬はカツラノハイセイコです(笑) -
みゆパパさん>おはようございます(^_^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
-
msz-006さん>おはようございます(^_^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)


