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2015/01/02 21:41
サクラスターオーの話 (その3)
生後2ヶ月で母を亡くすという試練に直面したサクラスターオーでしたが、藤原場長とスターロッチを親代わりとして順調に育ち、3歳(旧表記)となった1986年、競走馬となるべく美浦トレセンへ旅立ちました。
玄孫サクラスターオーを見送ったスターロッチはすべての役割を終えたかのように同年8月に老衰でこの世を去りました。
享年29歳、人間でいえば100歳近い大往生でした。
サクラスターオーは「サクラ軍団」の一員として競走馬となりましたが、入厩先はサクラ軍団御用達である境勝太郎厩舎ではなく、開業したばかりの平井雄二厩舎でした。
入厩先が平井厩舎となった訳は、平井師が騎手時代に主に障害戦での騎乗を依頼していた全演植オーナーが開業祝いとして預託することにしたものです。
1986年10月5日、東京競馬場芝1600mで行われた新馬戦でサクラスターオーは競走馬としてのスタートを切りました。
デビュー戦こそ2着に惜敗したものの、2週間後の18日に同条件で行われた折り返しの新馬戦を快勝、初勝利を挙げました。
しかしレース後に骨膜炎となり、4ヶ月間ほど休養しなくてはなりませんでした。
サクラスターオーの前脚は生まれつき極端に外向しており、負担がかかりやすくなっていたのです。この前脚の奇形は生涯にわたってサクラスターオーの競走生活に影を落とすことになります。
サクラスターオーの復帰戦は翌1987年2月21日、東京芝1800mで行われた寒梅賞でした。
休み明けであるサクラスターオーはデキは今一つで、レースでも5着に敗れてしまいました。
勝ち馬はシンボリ牧場が送り込んだ大器、マティリアルです。
この後弥生賞に出走することになったサクラスターオーでしたが、またもやアクシデントが彼を襲います。
3戦全てで手綱をとってきたサクラ軍団の主戦騎手、小島太が突如全オーナーから降板を言い渡されたのです。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m
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セロリさん>おはようございます(^_^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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飛虎さん>おはようございます(^_^)コメありがとうございます(^_^)
まあ、28年も前に走っていた馬ですから(苦笑)
私は当時大学生になったばかりで、初めて競馬場に行って馬券を買ったのがこの時期なんですよ。
学生が馬券を買うのは法律上ダメなんですが、時効ということで(笑) -
広瀬北斗さん>おはようございます(^_^)コメありがとうございます(^_^)
そこらへんのことは次回に書きますが、少なくとも乗り方がどうのこうの、という話ではないようですね。 -
セロリさんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
全オーナーの降板コメントを読んだ事がありますが(確か東(元?)夫人の著書),理由を明確にしない歯切れ悪い内容でした。
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飛虎さんがいいね!と言っています。
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飛虎さん
こんばんは。
書き出しの一行に呼ばれてお邪魔しました。
(こういうお話には弱いのです)
サクラスターオーのことは、まったく知らないので・・・
首を長くして、次回以降お待ちしております。
本年もよろしくお願いいたします。 -
msz-006さん>こんばんは(^-^)「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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msz-006さんがいいね!と言っています。


