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2015/01/11 19:07

サクラスターオーの話 (その5)

1987年3月、クラシック戦線に乗るべく弥生賞に出走することになったサクラスターオーでしたが、主戦騎手であった小島太騎手(現調教師)が突然オーナーから降板を言い渡され、乗り役がいなくなってしまいました。
サクラスターオーを管理していた平井雄三調教師は師匠である境勝太郎調教師に相談しました。
そこで境師が推薦したのは、愛弟子の一人である「代打屋」東信二騎手でした。

東騎手は元々境厩舎の所属騎手でした。
境師は東騎手を「腕前は自分の弟子たちの中では一番だろう」と後にコメントするほど高く評価していましたが、境厩舎は「サクラ軍団」御用達の厩舎でした。「サクラ」の有力馬は全演植オーナーが息子のように可愛がっていた小島太騎手が乗っていたため、東騎手は自厩舎の有力馬に乗る機会はほとんど与えられなかったのです。
東騎手は他厩舎の馬に「1回きり」の約束で騎乗し、結果を残すことで自らの地位を築きあげていったのでした。

東騎手に有力馬を任せることができなかった境師は東騎手がフリーになっても「何かあったらいつでも戻ってこい」と声をかけ、気にかけていたのです。
そこに突然降ってわいた「小島太降板事件」、境師は「不遇の男、東を陽の当たるところに送ってやりたい」との思いから、平井師に東騎手を推薦したのです。
平井師は騎手を確保できない立場にいました。
選択の余地はありません。
平井師は弥生賞の2日前、東騎手に「最終追い切りに乗ってくれ」と声をかけ、騎乗を依頼しました。

1987年3月8日、東騎手を新パートナーに迎えたサクラスターオーは弥生賞に出走しました。
「流れ星の伝説」がここから始まったのです。

To be continued....

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  • サクラスターオー

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