2908件のひとこと日記があります。
2015/01/11 19:26
サクラスターオーの話(その6)
1987年3月8日、サクラスターオーは初めての重賞レース、弥生賞に出走しました。
当日の1番人気は朝日杯3歳Sで2着に入った芦毛の追い込み馬ホクトヘリオス、2番人気は共同通信杯の勝ち馬マイネルダビデ、1勝馬で前走は5着に敗れているサクラスターオーは6番人気にとどまりました。
実を言いますと、この年の皐月賞トライアルは弥生賞よりも3週間後のスプリングSのほうが注目されていたんですよ。
というのも、朝日杯3歳Sを勝ったメリーナイス、阪神3歳Sを勝ったゴールドシチー、シンボリ牧場が擁する大器マティリアルがスプリングSで激突したからです。
ちなみにスプリングSではマティリアルが伝説となる怒涛の追い込みで完勝、鞍上岡部幸雄が「ミスターシービーしちゃった」とコメントすることになります。
弥生賞に話を戻しましょう。
レースは4番人気ビューコウが逃げ、マイネルダビデが2番手、サクラスターオーはホクトヘリオスとほぼ同じ位置の7番手につけました。
先行した2騎は絶妙なペースで逃げ、後方集団とはセーフティリードと思えるほどの差をつけました。
東騎手は「これは厳しいな...」と半ば勝ちを諦めたそうですが、いざサクラスターオーを追い出してみると、サクラスターオーは突然覚醒します。
強烈な末脚で先行2騎との差を一完歩づつ詰め、逃げ粘るビューコウ、食い下がるマイネルダビデをゴール前でまとめて差し切りました。
東騎手はサクラスターオーを追っていた時、あまりの末脚の強烈さに「膝がガクガク震えた」そうです。
勝ち時計は2分2秒1、これはシンボリルドルフがマークした2分1秒7に次ぐ弥生賞歴代2位のタイムでした。
「サクラスターオーは強い...」
レースを観た全ての人がはっきりとそのことを認識しました。
サクラスターオーは一躍クラシックの有力候補に名乗りを挙げました。
彼の前途は明るいものでした。
しかし...
サクラスターオーが重賞制覇したわずか1週間後、故郷・藤原牧場を悲劇が襲います。
サクラスターオーの育ての親、藤原場長が脳梗塞で倒れ、57歳の若さで還らぬ人となってしまったのです。
サクラスターオーは実母サクラスマイル、育ての親である4代母スターロッチ、そして藤原場長を立て続けに失ってしまいました。
毎日ミルクを与え続け、懸命にサクラスターオーを育ててきた藤原場長は、サクラスターオーがクラシックに出走するその姿を見ることはできませんでした。
今回はここまでとさせていただきますm(._.)m
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こんにちは。
鼻もげにファイトありがとうございます。
(昨日はショックで、早く寝ました)
おかげさまで、鼻直りました。
取り急ぎ、ご報告まで。
追伸
鼻伸びないように気をつけます。 -
四毛ネコさん>「いいね!」ありがとうございます(*´∀`)
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四毛ネコさんがいいね!と言っています。
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競馬王しんちゃんさん>「いいね!」ありがとうございます(*´∀`)
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飛虎さん>こんばんは(*・∀・*)ノコメありがとうございます(^_^)
もげた鼻は明日また伸ばしましょう(笑)
それではまた明日m(._.)m -
競馬王しんちゃんNO.007さんがいいね!と言っています。
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こんばんは。
今日は鼻ももげたし、もう寝ます。
寝る前にいいもの読めました。ありがとうございます。 -
飛虎(鼻、もげました)さんがいいね!と言っています。


