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2015/02/01 20:38
サクラスターオーの話(その9)
皐月賞快勝後、脚部不安のために休養していたサクラスターオーが美浦へ帰ってきたのは9月も半ばを過ぎたころでした。
帰厩後すぐに日課であった一日6000mの乗り運動が再開されましたが、サクラスターオーの両前脚はなかなか回復せず、運動しては脚が腫れ、腫れが引いたら運動を再開するもすぐに脚が腫れる、その繰り返しでした。
メリーナイス、ゴールドシチー等のライバルたちが順調にステップレースを使われて仕上がっていく中で、サクラスターオーの調子は一向に上昇する気配を見せませんでした。
一進一退を繰り返すサクラスターオーの調子を見かねた全演植オーナーは平井雄二調教師に「ここで無理をする必要はない。スターオーは能力のある馬なのだから古馬になってからでも活躍できる。菊花賞は自重したほうがいい」と諭しましたが、平井師はあくまでも菊花賞を目指すという姿勢を変えませんでした。
騎手時代の平井師はキャリアのほとんどが障害レースでの騎乗でした。師にとってクラシックレースに騎乗することは夢のまた夢、違う世界の出来事だったのです。
クラシックという華やかな舞台にあこがれを抱きながら障害レースに騎乗し続けた平井師には、戦えるチャンスがありながらそれをフイにしてしまうことはできなかったのです。
それが自らのわがままだとしても....
「俺のわがままを聞いてやってください」
平井師に懇願された全オーナーはある条件を平井師に示しました。
その条件とは「菊花賞1週前の追い切りの結果で出走の可否を決める」ものでした。
菊花賞1週前追い切りの当日、美浦トレセンは濃霧に包まれました。
視界は10m以下、平井師が双眼鏡でいくら目を凝らしても調教コースを走るサクラスターオーの姿は確認できませんでした。
平井師は騎乗した東信二騎手に判断を委ねました。
「どうだった....?」
「これなら大丈夫です。スターオーと一緒に西に行かせてください!」
東騎手の力強い言葉を受けた平井師は再度全オーナーに菊花賞出走を懇願、全オーナーも「可能性が1%でもあるのなら挑戦しよう」とGoサインを出しました。
こうしてサクラスターオーの菊花賞出走が正式に決まり、サクラスターオーは決戦の地、京都へと向かう馬運車に乗りこみました。
今回はここまでとさせていただきますm(__)m


