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2015/02/04 22:09
ターフに咲く花〜名牝伝説〜 vol.32
こんばんは(*・∀・*)ノ
「ターフに咲く花」の第32回目、今回は予定を変更してお送りします。
よく考えてみるとあの馬を書いてなかったので(^-^ゞ
マックスビューティ
1984年5月3日生まれ
2002年2月27日没(18歳)
父 ブレイヴェストローマン
母 フジタカレディ(母の父バーバー)
19戦10勝
主な勝ち鞍 桜花賞、オークス(1987)
代表産駒 マックスジョリー
(玄孫 ココロノアイ)
管理調教師 伊藤雄二(栗東)
主戦騎手 田原成貴
☆今回の「ターフに咲く花」は1987年のクラシック二冠牝馬、マックスビューティを取り上げます。
「究極の美女」の名の通りの美しい馬でした。そして強い馬でした。
私は毎週日曜日に「サクラスターオーの話」を書いてるんですが、実はマックスビューティはサクラスターオーの同期でして、当時は「1987年生まれの競走馬で一番強いのはマックスビューティだ」と言われてたんですよ。
ダービーに出ていたらメリーナイスを5馬身くらいチギッてたかもしれません。
そう思えるほどマックスビューティの強さは群を抜いていたんです。
桜花賞は8馬身差の大勝利、レース前に伊藤雄師が田原騎手に「チギッてこい!」と激を飛ばして送り出した通りのぶっちぎりでした。
オークスは着差こそ2馬身半ですが、ハッキリ言って目一杯追ってません。
まさに「他馬を子供扱いして」の勝利でした。
秋シーズンの緒戦、牝馬三冠を目の前にしたマックスビューティが出走したのはトライアルのローズSではなく、神戸新聞杯でした。
当時は阪神2000mで行われていた神戸新聞杯ですが、菊花賞トライアルであることに変わりはありません。
にも関わらず、単勝1.6倍の圧倒的1番人気に推されたマックスビューティはロクに追われもしないのに圧勝、世代最強馬の貫禄を見せつけました。
次走ローズSもロクに追われずに完勝、三冠達成はほぼ確実かと思われました。
しかし、三冠最終戦のエリザベス女王杯(当時2400m)では、直線で一度は抜け出したものの、いつもより末脚が鈍く、オークス3着馬タレンティドガールの強襲に屈してしまいました。
当時は敗因について色々なことが言われましたが、神戸新聞杯とローズSをロクに追われずに勝ってしまったために、馬が楽をすることを覚えてしまったのではないか、というのが一番納得できる仮説だと思います。血統的に2400は長すぎたという意見もあったんですが、当時の京都2400は折り合いさえつけばマイラーでも十分対応が可能でした。それに古馬になってからのマックスビューティはズブくなってましたし....
ただし、トライアルでは余力を残して勝つのが理想ですし、マックスビューティはエリザベス女王杯までに年間で8戦していました。疲労の蓄積という点から見ても、トライアルで目一杯追うのはリスクが伴うことだったのです。
力負けではないことは確かです。
結局は、運がなかったということなんでしょうね(; ̄ー ̄A
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ブンブンさん>「いいね!」ありがとうございます(^_^)
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広瀬北斗さん>こんばんは(*・∀・*)ノコメありがとうございます(^_^)
まあ、ブレイヴェストローマン産駒は早熟の気がありますからね。
もしかしたら3歳春がピークだったかもしれません。 -
栗原のぞみさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
タリーズコーヒーさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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ぼう0508さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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msz-006さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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四毛ネコさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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広瀬北斗さん
能力判断,難しいですよね。
実際このころの牝馬は,牝馬路線は圧倒的強さで勝利しても牡馬相手ではコロコロ負けるのが常でしたから。ところがマックスビューティは世代限定でも牡馬相手に勝利しました。ただ有馬記念以降の輝きのなさを見ると,能力限界の一端を見せていたのかもしれませんね。 -
栗原のぞみさんがいいね!と言っています。


