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2015/02/11 18:29
ターフに咲く花 〜名牝伝説〜 vol.33
フラワーパーク
1992年5月8日生まれ(22歳)
父 ニホンピロウイナー
母 ノーザンフラワー
(母の父 ノーザンテースト)
18戦7勝
主な勝ち鞍
1996 高松宮杯(現 高松宮記念)、スプリンターズS
代表産駒 ヴァンセンヌ(東京新聞杯)
管理調教師 松元省一(栗東)
主戦騎手 田原成貴
☆「ターフに咲く花」の第33回目、今回は1996年のスプリント女王であるフラワーパークを取り上げます。
この馬が獲得した2つのGIレースはどちらも非常に印象に残るものでした。
初のGI制覇となった第26回高松宮杯、このレースは「フラワーパークが勝った」ことよりも「ナリタブライアンがスプリント戦に出走した」ことで注目を集めたレースでした。
当初はGI馬がヒシアケボノしかいなかったためにイマイチ注目されていなかったんですが、ナリタブライアンが出走を表明した途端に俄然注目され、当日は中京競馬場に7万4千人もの観衆が詰めかけました。
レースは前半6Fが33秒1とハイペースになりましたが、好位でレースを進めたフラワーパークは直線で抜け出すと2着ビコーペガサスに2馬身半の差をつける強い内容でGI馬の仲間入りを果たしました。
4着に敗れたナリタブライアンはレース後に故障を発生して引退に追いこまれてしまいました。当時は「なぜナリタブライアンをスプリント戦に出したのか?そのせいで故障したのではないか?」とマスコミやファンから陣営に対する疑問や批判が巻き起こり、論争が起こったんです。
2度目のGI制覇となった第30回スプリンターズS、このレースは「史上最短の着差で決着したレース」として記憶されている方もおられるでしょう。
フラワーパークとエイシンワシントンの火の出るような叩き合いの結果はわずか1センチだけフラワーパークが先にゴール板の前を通過しました。
(エイシンワシントンの鞍上)熊沢重文との激闘を辛くも制した田原成貴は後に「勝つために奥の手を使った」と語っています。
その奥の手とは「ゴム毬を強く握っている手を素早く開くとゴム毬は膨張する」という理屈に基づくものなのだそうですが、はっきり言って田原騎手が何をやったのか全然わかりません(苦笑)
天才の言うことですから、凡人には理解できなくて当たり前なのかもしれませんね(^_^;)
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広瀬北斗さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
どちらも松元厩舎ですからね。
夢を見させてくれる配合でしたよ。 -
広瀬北斗さん
自分の日記にも書きましたが,フラワーパークの初年度産駒は父トウカイテイオーでしたから,夢溢れる一頭でした。
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ワイドボックスさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
コメありがとうございます(^_^)
難しいことを簡単にやってのけるのが秀才ならば、難しいことを簡単なことに見せてしまうのが天才ですよ。
前者が武豊なら後者は田原です(^o^) -
ワイドボックスさんがいいね!と言っています。
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ワイドボックスさん
田原が本物の天才だとしたら、武豊は並みの秀才でしかないですね(^^;
本当にわけのわからないことをサラッと言ったりやってのける男でした。 -
msz-006さん>こんばんは(*・∀・*)ノ
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
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四毛ネコさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
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タリーズコーヒーさん>こんばんは(*・∀・*)ノ
「いいね!」ありがとうございます(^_^) -
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