2908件のひとこと日記があります。
2015/03/17 20:36
nプロ会報vol.53 (その1)
全国8000万人のプロレスファンのみなさん、こんばんは(*・∀・*)ノ
nプロ会報vol.53をお送りします。
(おことわり)
今回は内容を一部変更してお送りします。
その際、ある銀行口座をここに明記させていただきます。
紹介する話題の内容において絶体に必要なことですので、なにとぞご了承のほどをお願いいたしますm(__)m
「WnC戦次期挑戦者決定戦」は中止とさせていただきますm(__)m
(1)安生洋二引退
☆「200%男」、「アン・ジョー司令長官」こと安生洋二選手が今月19日に後楽園ホールで行われる自主興行を最後に引退することを発表しました。
1985年7月に第1次UWFからデビューした安生選手は、その後新日→第2次UWF→UWFインター→キングダム→全日→WJ→ハッスルと様々な団体を渡り歩き、エンターテイメントもこなせる実力派レスラーとして活躍しました。
安生選手といえば「グレイシー道場破り失敗」が真っ先に思い出されます。
1993年11月、第1回UFC大会で当時パンクラスのエース外国人であったケン・シャムロックがホイス・グレイシーに惨敗したことで「総合格闘技」という新たな外敵の誕生を目の当たりにしたUWFインターは、グレイシー一族との対戦を模索するようになり、直接交渉を行うために安生選手をロサンゼルスにあるグレイシー道場に送り込みました。
安生選手はテーブルについて交渉するためにグレイシー道場に乗り込んでいったのではありません。
「ヒットマン」としてグレイシー一族に勝負を挑むために乗り込んだのです。
渡米前は「200%勝てる」と絶対の自信を見せていた安生選手でしたが、結果は...
「グレイシー最強の男」ヒクソン・グレイシーの前に成す術もなくボロ雑巾のようにされてしまいました。
安生選手はこう述懐しています。
「自信はあったけど....自分は本当の意味でヒクソン戦で終わっちゃってた。気持ちがボキッと折られた」
その後の安生選手は素の自分を出すファイトをするようになりました。
それまでの安生選手はUWFの理念に沿って行動していましたが、ヒクソンに惨敗したことでUWFの理念から解放され、元々の性格であった陽気さ、いい加減さを出せるようになったのです。
「ヒクソンに敗れたことで初めて自分の言葉で話せるようになった」のです。
そんな安生選手が最後に行き着いたのがハッスルでした。
ハッスルではプロデュースも手がけていて、エンターテイメントに特化したプロレスを選手として、またプロデューサーとして支えていました。
しかし、だんだんと尻すぼみとなっていったハッスルは2009年の10月に消滅、安生選手はそれ以来リングには立っていませんでした。
そんな安生選手が「完全燃焼するために」引退試合を行うことを発表、引退試合は高山善廣、山本健一と組んで船木誠勝、鈴木みのる、菊田早苗と戦います。
試合形式は無制限3本勝負、総合格闘技とエンターテイメントプロレスという両極端な世界を生き抜いてきた安生選手の最後のファイトは、いったいどんなプロレスを見せてくれるのでしょうか?