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2013/04/12 19:54
(続き)スペシャルウィークのつくり方
スペシャルウィークの4代母シラオキは、
1946年岩手県小岩井農場で産まれました。
父はリーディングサイアーのプリメロ。
祖母スターカップは帝室御章典など12勝。近親にハクリュウ(帝室御章典)、ダービー馬ミナミホマレ、天皇賞馬ヤマニンモアーがいる名門牝系。
シラオキは、牝馬の身でダービーに挑戦し、タチカゼの2着に入るなど48戦9勝の成績でしたが、浦河で繁殖に上がってから輝き出しました。
コダマ(ダービー、皐月賞)&シンツバメ(皐月賞)の兄弟を産み、
子孫にはマチカネフクキタル、シスタートウショウ、サンエイソロン、シヨノロマン、ミサキネヴァーなど一大牝系を築き上げます。
いきなりダービー馬と皐月賞馬の母になったシラユキは、
パシィフィカス(ビワハヤヒデ&ナリタブライアン兄弟)、
ダンシングキイ(ダンスパートナー&ダンスインザダーク姉弟)
オリエンタルアート(ドリームジャーニー&オルフェーヴル)のようなもの。
どうしてもシラオキの牝系が欲しかった大洋牧場の小野田正治は、蒲田牧場に交渉し、シラオキの仔ミスアシヤガワ(父ヒンドスタン)に自分が持っていた凱旋門賞セントクレスピンを無料で交配し、産まれた仔が牡なら蒲田牧場のもの、牝馬なら正治が買い取るという破格の条件を出します。
そして正治の思惑通り、牝馬が産まれ、この牝馬がスペシャルウィークの祖母になるレディーシラオキです。
しかし、待望のシラオキの娘を手に入れた正治はレディーシラオキが競走馬になる前に52歳という若さで死亡。
無念だったでしょうね。
夢は息子の宏が引き継ぎます。
レディーシラオキは、58戦4勝2着8回3着10回で引退。
現代ほど、牝馬限定戦のない時代なので、この成績は能力の高い証拠。
その後、レディーシラオキは、浦河の秋場牧場→門別倉富士山牧場へ移る。
レディーシラオキの父セントクレスピンの父オリオールは大種牡馬ハイペリオンの代表産駒で、キングジョージの勝ち馬。
セントクレスピンの代表産駒は天皇賞馬エリモジョージ。
セントクレスピンを母父に持つマグニチュードは、
皐月賞、ダービーの2冠馬ミホノブルボン、桜花賞馬エルプスを出しています。
そして、レディーシラオキに、抜群のスピードを持つマルゼンスキーが配合されました。
ちなみにマルゼンスキーは、ウイニングチケット、ライスシャワー、メジロブライトの母父として活躍しています。
そして産まれた鹿毛の牝馬がキャンペンガール。
「キャンペンガールは、とにかく気性の荒い馬で、暴れて故障ばかりしていた」(小野田宏)。
キャンペンガールは、故障がもとで未出走のまま引退し繁殖に上がる。
パドスール、オグリキャップなどを付けたが、産まれた仔は一様に気が荒く、
競走馬として成功した馬はいなかった。
当時、リーディングサイアー独走中だったサンデーサイレンス産駒は鋭く切れる末脚と抜群の勝負根性で好成績を残しているが、同時に気性が激しいことでも知られていた。
気が荒いキャンペンガールに気性の激しいサンデーサイレンスを付けることは一つの賭けであったが断行。
そして、
1995年5月2日に、牡の黒鹿毛が産まれました。
馬の名前はスペシャルウィーク。
2年後に、ダービーを5馬身差で圧勝!!!!!!
3年後に、天皇賞春秋連覇し、ジャパンカップ優勝する名馬になることはまだ誰も知りませんでした。
(続く)