454件のひとこと日記があります。
2013/05/06 21:46
日本競馬界を支配する「社台グループ」
「天才ジョッキー・武豊と「社台グループ」の確執」
JRA歴代最多勝利の3523勝
(2位岡部幸雄2943勝・引退)
16年連続を含む最多勝19回。
重賞勝利384勝。
G1勝利38勝。
デビューから27年連続重賞勝利。
年間最多勝(05年の212勝)
年間重賞最多勝(05年の23勝)
年間100勝達成回数(20回)
という前人未到の華々しい記録を持つ武豊。
プロ野球で言えば、イチローと王貞治氏を合わせたような大記録。
しかしその天才ジョッキー武豊が最近不振です。
10年3月に落馬し全治4カ月の重傷を負って、完治しないまま復帰したこともあり、それ以
降、期待を裏切る騎乗が多い。
モチロン年齢(44歳)による衰えもある。
しかし一番の原因は、
「社台グループ」に嫌われたというのがその理由。
「社台」の名前を知らない競馬ファンはいない。
「社台」の創始者・吉田善哉氏の息子2人である吉田照哉氏の「社台ファーム」と吉田勝己の
「ノーザンファーム」が運営する牧場か生産される馬いなければ、馬主、厩舎、調教師、騎手
はモチロンのコト、JRA(日本中央競馬会)にすら大きな影響を与えており、日本の競馬の
レースそのものが成立しないほど巨な存在になっています。
その「社台」と武豊の確執は、
10年ヴィクトワールピサで「凱旋門賞」に挑戦した時から始まりました。
レースは20頭立てで、後ろから行くと馬群に揉まれる危険性があるのに、武豊は馬群に包まれ
た後方で最終コーナーを回り、何もしないまま7着惨敗。
ヴィクトワールピサは、吉田照哉氏が半分の権利を持っていた馬なので「吉田照哉氏の怒り
はものすごかった」(競馬新聞記者)という話です。
ヴィクトワールピサは、翌年に世界最高峰のレースのひとつである「ドバイワールドカップ」
に挑戦し優勝しますが、その時の鞍上はモチロン武豊でなく「社台」が優先して起用し始めて
いた外国人騎手のM・デムーロでした。
この頃から「社台」は外国人騎手を優先するようになります。
オルフェーヴルの乗り替わりも同じパターン。
同じ年、「ジャパンカップ」で武豊は「サンデーR」のローズキングダムに騎乗します。
1位で入線したブエナビスタが降着となり、2位で入線したローズキングダムが、結果的に繰
り上がりで優勝しましたが、この時の武豊の騎乗を「社台」の総帥・吉田照哉氏が大激怒。
「もう、ウチの馬にユタカは乗せるな」
と東西の調教師に伝えたそうです(栗東トレセン関係者)。
ちなみに降着となったブエナビスタも「社台」の「サンデーR」の馬なので、ローズキングダ
ムが勝ってもブエナビスタが勝っても同じサイフなんですけどね。
12年の「ジャパンカップ」は、1着ジェンティルドンナ、2着オルフェーヴル、3着ルーラ
ーシップ、5着フェノーメノで、掲示板を実に4頭も「サンデーR」の馬が独占しました。
「ジャパンカップ」の賞金は、総額4億7600万円で国内最高
(ドバイワールドカップに次ぐ世界2位)
1着賞金は、2億5000万円、2着が1億円、3着が6300万円、5着でも2500万円
と高額で、馬主の取り分は80%です。
「社台グループ」がサラブレッド生産(良血馬は1頭2億円)で儲け、
レース賞金で儲けた莫大な資金力と発言力で、日本の競馬界に巨大な支配力を持っているコト
が分かりますね。
(続く)