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66件のひとこと日記があります。

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2016/01/26 06:10

安楽死という勲章

先にテンポイントの死について、競馬ファンが予後不良の安楽死の選択を阻止したことによる悲劇として、またこんな似非競馬ファンを心無い競馬ファンとして強く非難の言葉を展開させてもらった。そして、安楽死は競走馬の勲章とまで言わせてもらった。これを掲示板で言うと間違いなく炎上することは、既に何度も経験しているので、ひとこと日記に留めている。
私がこんな競馬持論を持ったのは、自分自身がそんな心無い競馬ファンであったことを自覚したからです。
先に、馬術界から競馬界に転向した自分のお馬さんとの関係経緯を書きましたが、その有頂天次期がハイセイコーブームに重なります。ましてその時、府中競馬場近くに住んでいましたから、、、。そのハイセイコーブームの最頂点、1974年12月26日、その府中競馬場で翌年の1月6日に行われる正式の引退式に先立ってお別れ会が行われた。平日にも関わらず4000人を超す競馬ファンが押し寄せた。その中の一人と言うより最前線に私は会社をさぼって参加していて、それがテレビの映像で流されて会社に知れ、私の競馬狂は会社公認みたいになったほどのめりこんでいた。
衝撃的な報道を知ったのはその正式な引退式の11日後のことだ。このことは何度も書いて炎上したり、自分も何度か転居していて資料も手元に残っていないので記憶に頼ることになるが、木曽開田村の柘植さんという人が、木曽駒の純血保存のため自らが飼っている最後の一頭となった木曽駒第三春山号を安楽死させ剥製にすると報道された。これが動物愛護団体などから大変な非難を浴びていたのだ。その非難は一般の動物好きを含めて全国的に広がっていった。
即ち、殺すな、自然死させろ、人非人、血も涙も無い奴等々非難の言葉が柘植さんのもとに浴びせられ続けた。
それでも、柘植さんは純粋の木曽駒の原型を残すには悲しいけど、この選択しかないと決め、この日、軽トラックに第三春山号を乗せ、自らも同乗し、寒いだろうと自分のジャンパーで暖めるように抱きしめて、第三春山号を剥製とするために名古屋大学に向けて木曽駒をバックに開田村を家族に見送られて後にした。
名古屋大に着いた時、柘植さんのジャンパーは愛馬の涙と柘植さんの涙でぐしょぐしょだったという、今生の別れがお馬さんにも解るんです。柘植さんはそう言って、最後にボソッと言った言葉が、「ハイセイコーばかりが馬じゃない」。
この報道で私は目が覚めました。安楽死、第三春山号にとって、柘植さんにとって、悲しすぎるけど血と涙と、そして何よりも愛情の籠もったかけがえのない勲章です。
あれから40年以上も過ぎたけど、第三春山号は当時のままの姿で多くの見学者に純粋の木曽駒の姿を見せてくれている筈です。
可哀相だ、人でなし、と非難した人々が正しかったのか、愛馬を悲しみを超えて安楽死させた柘植さんが正しかったのか、私は迷うことなく柘植さんの選択に心打たれ続けて、今も気持ちは変わりません。

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  • 馬の気持ちさん

    私も ダビスタ牧場厩務員さんの意見とほぼ同じです。
    馬には 純血種とか関係ないですもん、たぶん。 1日でも長く 飼い主さんのそばで生きていたかっただけな気がします。
    すみません、馬でもないのに、わかった風なこと言って。

    2016/01/26 09:38 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    調べました。高齢で老衰状態のようでしたね。安楽死ではなく、自然死にしてやりたかったと思います。馬が苦しんでいるならともかく、標本として残すためなんて、言うのは人間のエゴですよ。

    1975年1月17日に馬齢25歳で安楽死処分された。内臓と骨格は名古屋大学農学部に研究用標本として保管され、皮は剥製となり開田村(その後合併により木曽町)の郷土館に置かれた。処分時点で第三春山号は老衰による骨軟化症や黄疸を発症しており、木曽馬のあるべき姿を標本として残すために、自然死を待たずに処分されたものである。

    2016/01/26 08:52 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    剥製にする批判というより、この文章からは良くわかりませんが、馬が元気だったと思っていました。もし馬が元気であれば、絶滅種を形に残そうとしようが問題だと思っています。瀕死の状態であっても殺すのは間違いだと思うのですが。予後不良の馬の話のように苦しむのであれば安楽死は仕方の無いことですが。

    2016/01/26 08:35 ブロック

  • クライスト教授さん

    剥製にする…ダビスタさんの反論はこの点。事例は剥製にする事の是非ではなく安楽死を自然死より愚劣と捉える事の誤りを説くもの。反論というより決着点の相違なので、絶滅種を形に残そうとした方も自然死を願って批判した方もどちらが正しいかは言えないと思います。

    2016/01/26 07:38 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    私なら、最後の一頭となった木曽駒第三春山号と一緒に暮らして、第三春山号を看取りたいと思います。自分が死ぬ時はそばにいてもらいたいと思います。愛する人や家族と家族同然の動物も。人間だって馬だって、死ぬ時は待ってくれませんから。

    2016/01/26 07:28 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    柘植さんという人の気持ちはわかります。何か木曽駒を残す方法は無かったのでしょうか。

    2016/01/26 07:15 ブロック

  • オジョウママさん

    非常にシビアな内容でした。こういう事もあったのですね。
    私には柘植さんの選択は彼自身とても悩んでの選択だったので
    外野が口を挟む事はとうていできません。

    予後不良ではなくても重い怪我を負ったお馬は痛みで苦しんでいる、
    その痛みに苦しんでいる姿も見ずに、がんばれ、助かっての言葉は
    安易すぎるのではと思うところがあります。
    非常にデリケートな事なので賛否両論あるとは思いますが
    この日記はやはり考えさせられる事がありますね。

    2016/01/26 07:12 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    私はミーハーであろうと、馬券中心であろうと、競馬はファンあってのものですから、大事だと思っています。人それぞれの考え方がありますから、楽しめればいいと思っています。

    2016/01/26 07:02 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    木曽駒の姿を見る見学者のために、純潔保存のために殺すなんてありえません。

    2016/01/26 06:56 ブロック

  • ダビスタ牧場厩務員さん

    これが、人間ならどうでしょう。自分の恋人や妻や、子供を保存しておきたいと殺したとすれば、阿部定のように映画になるかも知れませんけど、犯罪というだけに留まらないでしょう。人間と馬は違うというかも知れませんけど、私は同じだと思います。

    2016/01/26 06:50 ブロック

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