66件のひとこと日記があります。
2016/08/16 18:11
リオオリンピックで馬術は?
そうですよね、毎日のように日本メダル獲得の朗報を聞く度に、馬術はどうなったのと青学の後輩OG北井裕子を馬場馬術で送り出している私としてはちょこっと不満。そこでスマホで調べたら既に50位とかで予選落ち。
後輩云々は兎も角、日本からも立派に代表を送っているんだから、それもお馬さんも同行して、負けたからって報道ゼロは心外。そこで言わせてもらうけど、96年ぶりのテニスも凄いけど、お馬さんにだって凄いオリンピック歴史があることを書いちゃいます。
それは、西中尉と愛馬ウラヌス号の事。
昭和7年(1932)のロサンゼルス・オリンピックの最終日、愛馬ウラヌスを駆って「馬術大賞典障害飛越個人競技」で優勝した西竹一(にし・たけいち)選手。世界の名だたる騎手を抑えての金メダルは、日本の馬術界のみならずスポーツ界にとって、今に至るも空前にして絶後の快挙でした。その後映画にも描かれましたが、硫黄島の戦いで戦死する悲劇とともに、馬に乗る者なら知っておかねばならない人生だと思います。
上記は北大馬術部のHPからちょこっと引用したほんの一部分。書き出したら優に一冊の本になる、人馬が織りなす愛と平和のまさに「愛馬物語」そのもので、私が自費出版として馬に関した物語本を6冊も出版することになってしまった源です。
北京、ロンドンと高齢がゆえに大きく報道された法華津君は大学は慶応、青学と違いますが全くの同じ歳、1940年(昭和15年)生まれで、オリンピックイヤーであり、戦争がなければ東京オリンピックが行われた年でもありました。
ロスで金メダルに輝いた西中尉はその戦争が終わる直前、硫黄島で玉砕します。西さんは愛馬ウラヌス号の鬣(たてがみ)を終生身に付けていたと言います。
≪オリンピック、戦争、平和、愛(馬)、≫私にとっても終生この4語はピッタリ離れずに人生を歩み続ける縁(よすが)となりました。スポーツ精神でメダルを争う平和の祭典。ここまでのところ、リオオリンピックは順調に進んでいる。
これを、何としても、東京に繋ぎたいですね。そのためにも、ちょこっとで良いからお馬さん出てこないかなあと、残り少なくなったけど、期待しています。
追記
文中、同学年だったので特別面識はありませんが法華津君としました。直接対抗試合もありませんでしたが、法華津ここにありの実力は良く仲間内では聞いておりました。調べましたら生年は1941年(昭和16年)3月生まれでした。今回のリオは愛馬が不調で選考会に出れなかったようです。馬術競技の選考はあくまで人馬揃ってなんです。即ち、人馬一体のスポーツということです。東京に出れれば、成績は二の次でまた世界の大ニュースになりますね。