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2020/05/25 20:55
21世紀のダービー回顧
私がダービーを初めて買ったのは、
1986年のダイナガリバーの年
今年でとうとう
35回目のトライになる(汗)!
当時、競馬なんてのは、競馬場も場外も鉄火場でね、、、
相当イメージは、後ろ暗かったよ(汗)
それこそ、白いタオルのハチマキで、ひげ伸びたオッサンたちがワンカップ大関片手に、騎手をパドックでなじったりどやしたり、、、
馬券は、大井とか公営だと、まだ一枚100円の紙馬券で、1万円買ったら100枚だったな。それを外れると
ぱあ〜っと空中に撒き散らして捨てるオッサンたちがたくさんいたよ
このダイナガリバーが勝った年にね、
あのシャレオツなスポーツ雑誌
Number
が、ギャンブルイメージしかなかった競馬を
楽しい推理ゲーム、スポーツ
みたいな特集記事を組んでね!
で、おれもノータッチだった競馬にズブズブとはまるきっかけになっちまったわけよ。
とにかく
何一つ知らないからさ
そのNumberの特集記事を貪るように読んだね。中でも秀逸だったのは
井崎シュウゴロウの
10ページ近くに及ぶダービー予想
これが実に理路整然としていてね(笑)。今のあの語呂合わせとか、こじつけデータばかりの「とても乗る気になれない外しまくりの予想」とは違って
骨太予想だったよね
で、結論は、
◎ダイナガリバー
当時、私は、社台とかダイナとか、そんなブランドも知らなかったんだけど、素質馬なのに、
皐月賞10着で株を落として多様で
3番人気6.6倍
と、当たるなら買い頃!
だったんだな。
で、これが来ちゃってね(笑)
すげえ〜
井崎シュウゴロウ〜っ!
って感じだったな
何しろ
24頭もっ!(その年は23頭)
出てた時代だからね〜
よく当てるよな〜
こんなの〜
と感服すると共に、井崎シュウゴロウの予想があまりにも論理的だったので、
「これは、考えてデータを駆使すれば、勝てるんだっ!ギャンブルなんかじゃねえんだっ!」
と、信じこんじまったんだよな(笑)〜
これが転落の始まりやね〜
でも肝心の馬券は外れた(汗)
当時は単複と枠連しかなくてね〜
3枠のダイナガリバーから、2桁配当は欲しかったのと、当時マスコミが
ラグビーボールが強いっ!
って騒ぎまくってたからさあ〜
ダイナガリバーからラグビーボールを厚めに購入して、あとは点数絞ってたな〜
まあ、この年も翌年も
血統なんか
全然意識してなかったし、展開なんか読めないし、騎手も厩舎も
な〜んもわからず手探りだったね
次の投稿から、後から調べてわかったことも含めて、35年、振り返っていくよ。今年の的中のヒントが結構詰まってるからね。
私がなぜ
1号族
16号族
って、ファミリーナンバーにこだわるかも、
よ〜く、わかるから、面白いよ
ちなみにこの年の勝馬
ダイナガリバーは
16号族
6番人気3着の
アサヒエンペラーは
1号族
のっけから、凄いでしょ?
でも、もっと驚くのは翌年だよ
メリーナイスが
ぶっちぎりで勝ったんだけど
2着には
22番人気の
サニースワロー
未だに破られない、この馬の複勝配当は
4680円!
当時は、枠連ですら2桁配当になるだけで、すげ〜っていう
低配当時代だからね〜
その驚きは凄かったよ!
その次の年は
勝馬
サクラチヨノオー 3番人気
3着
コクサイトリプル 4番人気
が共に
16号族
次の年、ウィナーズサークルが勝った年の3着馬
11番人気
サーペンアップが、
1号族!
私は4年間、負け続けた後
5年目
アイネスフウジン
逃げ切りの単勝 5.3倍
6年目
トウカイテイオー
レオダーバンの
ガチガチの1番、2番人気枠連
3.5倍と
低配当を仕留めて、ようやく
ダービーをつかんだ!
と、思ったのも束の間、、、
その翌年
ミホノブルボンの2着に
16番人気
ライスシャワー
が突っ込んできてね、、、
もうどうやったら、こんな馬買えるんだよと、、、
ライスシャワーは、この後から強くなるんだけど、とてもダービー前の成績からダービーは買えないよっ!
ただね、、、
この馬のファミリーナンバーは、
1号族
この直後もまだファミリーナンバーなんて概念は知らなかったから、ここまで立て続けに
1号族
16号族
が、ダービーで穴をあけまくっていたことは、しばらくはわからなかったよ
まあ、次からもっともっと振り返って、いろんなことを書いていくけど、
私がなぜ
1号族 16号族
に、ここまでこだわるか?
わかるでしょ?
コントレイル
1号族
サリオス
16号族
デアリングタクト
1号族!